ごく一部(知る限りでは)の社会学者がアニメやゲームやマンガの女性表現を攻撃することについての私見

あまりにもこの手の炎上が後を絶たないので、最初に書いておきます

自治体や官公庁でアニメ絵を使いたくなったら、まずは相談してください。私がディレクションして炎上を防止します。1案件10万円から。絶対安いよ。

以下、私の考えを記録しておきます。

途中に挿入されている動画は私が応援したいコンテンツです。

お金は大事。キャッシュフロー超大事。学問も良いけどお金もね!

社会学者がアニメやゲームやマンガの女性表現を攻撃することは良いのか悪いのか

あまり良くないと思います。

少なくともなにかを批判するならば、その対象の一部の、自論に都合の良いところだけ切り取って叩くことは、研究者としては恥ずべき振る舞いだと考えます。

現代のアニメやゲームやマンガ表現についての深い理解、それを生み出している人々についての深い理解、それを受容している人々についての深い理解を誠実に試みた上で、なお、ここについては懸念があるというような論であれば、それは大いに耳を傾ける価値があると思いますが、今問題とされているものは、そうではないでしょう。

見分け方は簡単です。その分野の先行研究(この場合、ゲームやマンガやアニメの研究)を丁寧に検証して論を展開しているかどうか。言い換えるならば、参考文献リストが充実しているか。そういうものを積み上げずに、行きがけの駄賃のようにしてツイッターやヤフー個人やマスコミコメントでアニメやゲームやマンガの女性表現を非難しているのであれば、「その立派な肩書に相応しい言論活動では無いな」と判断して差し支えないでしょう。

とはいえ、言論の自由や学問の自由は大事です。

彼女・彼らがそういう雑なものを書いて発表することを止めさせてはなりません。

なお、北村紗衣は社会学者ではなく英文学者なので、そこ間違えないでね。

この頃はまだ北村紗衣はマイナーだった

社会学者がネット記事でアニメやゲームやマンガの女性表現を攻撃することについては、どうすべきか

忘れてはいけないのは、そうした記事がウェブメディアに出た時に、それを掲載した側にとって一番嬉しいのは、PVが増えることだ、という点です。

ヤフー個人ならば書いた人に広告料という現金がいっぱい入ります(ですよね?)

名前が売れれば新書を書いてくれとかコメントをくれというような声がかかるようになります。

既に本をいっぱい出しているあの人なら、話題になればなるほど、本が売れます。

本がいっぱい売れたならば、また次の本を書いてくれという声がかかります。

重版がかかります。

印税が入ります。

対談や共著の声がかかります。

あの人が推薦する社会学者にも仕事が回りやすくなります。つまり勢力拡大です。

ウェブで炎上を繰り返しているうちに、いつの間にか専門家扱いされるようになり、行政に「有識者」として呼ばれやすくなります。何かあるたびにマスコミにコメントを求められる人になります。アニメやゲームやマンガの世界、それらを生み出してきたコミュニティに何の敬意も持っていないような人たちが。

雑でもなんでも、話題になれば勝ちなのです。

インターネットで騒げば騒ぐだけ、養分にされます。それで良いのでしょうか?

一番良いのは「萌え絵を攻撃しているものは読みに行かない、言及しない、リンクしないの3無い運動」です。

俺が上野千鶴子批判をしていないって? 社会学クラスタで実名顔出しで俺くらい大ボス上野千鶴子をいじってるやつは居ないよ(苦笑)

では、社会学者はアニメやゲームやマンガの女性表現を叩き放題なのか

本当に重視すべき戦場はヤフー個人やツイッターではありません。ここは「読みに行かない、言及しない、リンクしない」の徹底で兵糧攻めにして枯らすしかありません。もう、誰がそういうものを書いてアテンション集めに余念が無いのかは皆さんご存じのはずです。そういう人のところに次から次へと本の執筆依頼だの献本だのが殺到して、ますます影響力が強まっているということもご理解ください。

引用リツイートやレスバで罵ってるあなたたちのせいですよ。

反応したら負けです。

大事なのはアカデミックな場での対抗言説の支援です。

数えたわけではありませんが、アニメやゲームやマンガが大好きな社会学徒は、それらが嫌いな社会学徒より遥かに多いはずです。

そうした社会学徒がアニメやゲームやマンガを真面目に研究することを褒めてあげてください。

例えばこういう学会もあります。

本を買う、SNSでシェアして拡散する。

そうやって、丁寧な、誠実な、冷静な、手堅い、実証的な、アニメやゲームやマンガの研究を応援し、積み上げさせるのです。

これが防壁になります。

もしもミサンドリー(男性嫌悪)的な社会学徒が、今のアニメやゲームやマンガの女性表現はけしからんという論文を書こうとしても、先行研究として「アニメやゲームやマンガの女性表現は一見すると俗悪な女性蔑視にも見えるが、実はそうではない」というものが積み上がっていたとしたら、それらを乗り越えて自説を開陳するためのハードルはどんどん高くなります。

公共の場でのアニメの女性表現をどうするべきか

碧志摩メグに始まり、宇崎ちゃんやら「ラブライブ!サンシャイン!!」やら、定期的に騒ぎになる話ですが、構図は同じです。

もしもそういう論争の場に社会学者が出てきて女性表現に文句を言い出すのなら、それに対抗出来るような社会学者を準備しておけば良い。アニメ・ゲーム・マンガの歴史と研究史に明るく、フェミニズムやジェンダー研究の歴史と動向も知っていて、フェアで客観的で自身の感情を排した仲裁が出来る社会学者。

そういう議論が出来る社会学者を応援して、育てていくことが必要です。

炎上でPVと知名度を稼ぐ一握りの社会学者に構っている暇があるならば、もっとまともな社会学者の本を読み、記事をシェアしましょうよ。

そして出来るならば、アニメやゲームの女性キャラを公共の場に出す前に、まともな社会学者に一言相談してリスクマネジメントを行うようにすると良いです。せっかく費用をかけてコラボを企画するならば、そういった方面のリスクの事前評価と対応手順にもコストをかけましょう。それがまた、暴論を振り回さない、質の高い議論の出来る社会学者を(経済的にも)育てるのです。