日本ポピュラー文化論壇のtoxicな25年

漫画やゲームやポピュラー音楽が学問や商業批評の対象にもなったことで、仕事としてこれらに接する人、学問のリサーチとして接する人、レクリエーションとして接する人が分化し、しかもこの3者がウェブ上でそれぞれの立場を問うことなく会話するようになったことで、色々面倒くさいことになっている

基本的には「こんな見方や感想もありますので、必要に応じてお役立てください。あなたの感想や捉え方や考え方にこちらからこうしろと働きかける意図は一切ありません」というくらいのドライなスタンスで提示していくのが一番平和だと思うのだが、インターネット登場以前からそれは無理な話だった

人は権力や承認を求める

自分が特権的にポピュラー文化の実践について発言出来る立場を手に入れた人がその権力に影響を受けずにいることは、極めて難しい。ネット以前は雑誌記者やライターがこのポジションででかい顔をしていた。

誰もが発言出来るようになった現代では学問の言葉遣いで権威っぽくしてみたり、徒党を組んで数で押しつぶしたり、犬笛で腰巾着をけしかけたり

だが、レクリエーションは労働と対になるものとマルクス風に考えると、労働ですり減った自分を回復させるのがレクリエーションなのだから、レクリエーションの時間を好きでもないものに使うのはかなり間違っている。

そりゃあ有り余る余暇があればその一部を使って修行するのも良いけれど。

だから知識人っぽい連中がSNSでポピュラー文化についてあーだこうだヌカしていても、面白ければちょっと耳を傾ければいいし、つまらんと思えば即切りで充分だ。あなたの人生はあなたのもの。

別の言い方をすると、どんなポピュラー文化を消費しているかで権力欲や承認欲を満たす必要が無い人は、ポピュラー文化消費と権力欲や承認欲を切り離せない人たちとは相性が悪い(ポピュラー文化消費で権力闘争やマウンティング合戦をしたい人たちは同好の士だけでやるべき)

もう少し踏み込んで言うと、権力欲や承認欲をこじらせた人はどんな業界でもわりと困られ者になってしまうので、その種の人の密度が高い(ように見える)25年間だった日本のポピュラー文化論壇とその成果物は本質的にtoxicなんじゃないかという気がしている。

個人の感想ですよ。