美術手帖が引き起こす勘違い

美術手帖の最新号、世界のアーティスト2024という特集を眺めたんですが、ポリティカル系の人しか出てこないのが色々勘違いを引き起こしている気がしました

まず美術手帖の編集部が執筆依頼してるのが清水知子や山本浩貴や近藤銀河やチンポムの人という時点で、選ばれるアーティストもポリティカル系ばっかになるでしょう

そしてアーティスト紹介文も例の日本語美術批評体だから、あれだけを読むと世界の現代アートはポリティカルばっかで、ステートメントはあの文体で書くもんだと勘違いするでしょう

ハシモトコンテンポラリーのギャラリストは回りくどい文体のステートメントは逆効果と断言してましたで?

あれは結局、大学で憶えたカルスタ文体しか使えないのか、カルスタ文体が格好いいと信じ切っているんじゃないかなあ。美術手帖のライターさんたち。

大学の専任教員も結構おるしね。カルスタ文体が適切な場ももちろんありますし、私だってそういうとこではカルスタ文体使いますけど、カルスタ文体の弊害もあって、あの文体に思考が引っ張られるんですよ。書き手が。

たとえばジャデ・ファドジュティミの紹介なんか「え? そういう絵描きでしたっけ?」ってくらいポリティカルに書かれてるけど、英語の彼女の紹介記事を以前にいっぱい読んだ印象としては、そんな全然ポリティカルな絵描きさんじゃねえっス。

カルスタ文体で書こうとするからああなる。一種のテンプレですから。小説家になろう文体みたいなもんでね。