バッシングしていいのは、バッシングされる覚悟があるヤツだけだ。

呉座勇一による北村紗衣の容姿侮辱に端を発した騒動は日文研による注意処分での決着を見ました(罪を憎んで人を憎まず、大事ですよ)。

ここから派生して、電凸という言葉を巡るかなり不毛な戦いが巻き起こっていた(今もかな)わけですが、中高年男性研究者チームを中心とした「電凸」批判への反批判をしている女性研究者たちにクソリプ送っているアカウントを見ると、アニオタが結構いるんですね。

ここからは推測ですが、北村紗衣らによる「宇崎ちゃんは遊びたい」コラボの献血ポスター批判は、過激なツイフェミによるアニメ・漫画・ゲームの女性表現バッシングの象徴になっていて、それが「研究者間の諍い」を越えて、あの北村紗衣が、という話でアニオタの流入を招いているのかもしれません。

(本来ならばここでツイフェミによる宇崎ちゃんバッシングの現場のリンクを張るところですが、以前に書いたように「そういうものは言及しない、リンクしない、読みに行かない」で浅薄な言説を枯らすのが私の提案なので、リンクしません。どうしても見てみたい方は検索してみてください)

私は以前から、ツイフェミによる宇崎ちゃんや碧志摩メグやラブライブサンシャインその他、パブリックスペースでの萌キャラの存在への一斉攻撃は、無用な反感を買い対立を煽るから止めるべきだと主張してきましたが、多分これがその「無用な反感」の帰結なのだと思います。

「撃っていいのは、撃たれる覚悟があるヤツだけだ」(ルルーシュ・ランペルージ)

 

果たして今回の「電凸」を巡るクソリプバトル、本当に必要なものだったのか?

その遠因の一つに、相手の言い分を聞かずに宇崎ちゃんや碧志摩メグを踏みにじってきたツイフェミの行動もあったのかもしれない。

 

 

そんな思考も必要ではないかと私は思います。あなたにもそう思えとは言っていないぞ、ここ大事だぞ。

かつてツイフェミが宇崎ちゃんを一斉攻撃した時、宇崎ちゃんの作者や、アニメやゲームや漫画を愛し生きる糧にしている人びとへのリスペクトはありましたか? あの時「もっと冷静で穏やかに、相手へのリスペクトを忘れないで発言するべきだ」と諌めたツイフェミはいましたか?

踏んだ方は忘れていても、踏まれた方は悔しさや痛みをずっと憶えているものです。

ただでさえツイッターでのバトルはエスカレートしがちなものです。今後はアニメ・ゲーム・漫画の性的表現について議論する際にも、作り手やファンへのリスペクトを忘れない方が良いと思います。私は。I THINK. I HOPE.

北アイルランド紛争みたいになる前に、もうちょっとピースフルに議論しましょう。