ジークアクスの7話が凄い凄いという声が大きいので我慢して見てみたんですが、印象変わらず。
このアニメ作品には思想・哲学・倫理観が無いように思える。
刺激的なカタストロフと戦闘シーンを高カロリー描写で矢継ぎ早に展開するだけの作品という意味では大友克洋の「AKIRA」に似ている。あれも好きなオタクは大好きだからジークアクスが最高という人が一定数あらわれる構造についてはわかった。
刺激的なら何でも良い、倫理観? 知るか! という制作側の姿勢が伺えるのはサイコガンダムが市街地で暴れるシーン。
全てを見たわけではないがこれまでガンダムのTVシリーズの主役で、あのシーンで手元にMSがあってサイコガンダムを止めに行かない奴は思い当たらない。アムロ、カミーユ、ジュドー、キラ、刹那、バナージ、三日月、スレッタ。
トリントンでシャンブロを止めるためにユニコーンが出撃したシーンは名場面中の名場面だと思うし、水星の魔女24話で命がけで議会連合の大出力レーザー攻撃を止めに行ったスレッタもさすがは主人公だった。
ところがジークアクスの主人公はサイコガンダムが暴れている時には仲間の金庫から札束奪ってジークアクスでトンズラ決めてただけ。
少なくとも私にはこれで感動しろというのはムリだ。テロリスト1人をエアリアルでスレッタが殺したことがシーズン2のモチーフになった(そして生の戦場を経験して、自分を殺そうとしていた子供の死に衝撃を受けたグエルの成長も含め)「水星の魔女」との倫理のラインの違いは凄まじい。
さて、ガンダムやダグラム、ボトムズ、マクロスが作られていた当時、アニメでこんなしっかりした物語を作れるんだという驚きと、アニメでこんな精密な戦闘シーンを表現できるんだという驚きがあった。
後者が形になったのがDAICONフィルム、ゼネプロ、ガイナックスだ。中身ではなく表層の徹底的な物神化。スタジオカラーはその系譜なので、物語が弱いことや倫理観の軽視は伝統なのかもしれない。ダメとは言わんが。
ガイナックスが当たりを取ったトップを狙え、ナディア、エヴァンゲリオンの頃はニューアカ、ポストモダン全盛期で、カットアンドペースト、パロディとパスティーシュ、大きな物語の終焉、スキゾキッズなどが新しかった。庵野秀明のシンシリーズは全部これだ。それが彼らの芸風なのだ。
だからまあ、今さらのポモガンダムもレトロ風コンテンツとしてアリとは思う。NOT FOR MEなだけだ。