この記事では余白のアートフェアという極めて特異なアート運動を立ち上げるにあたって、私がディレクターである山崎晴太郎の「余白」思想に何をこっそり追加したのかを書く。
それは、一言で言うなら「贈与のアート空間」を創るというプロジェクトだった。思想面では。
ここで言う贈与とは文化人類学の用語だ。
贈与とは読んで字のごとく、何かを贈り、あるいは与えるという行為である。貨幣での精算とは異なり、贈り贈られるという形でのモノの移動は常にどちらかに「借り」が残り、どちらかに「貸し」が残る。だから何度モノをやり取りしても永遠に関係は精算されない。御縁が続く。
これが基本の構造だ。
文化人類学者マリノフスキーがトロブリアンド諸島(パプアニューギニア)で発見したのは、一対一のサシの関係ではなく、贈られたものを贈り主に戻すのではなく、次の受け取り手に贈るという贈与の連鎖によって構築された、言わば「贈与の共同体」が人類社会には存在しているということだった。
マリノフスキーはクラという特殊な交易活動にそれを見出したのだけれど、同じようなことは我々もやっている。社会人が学生にメシや酒を奢る。
「君が社会人になったら、今度は君が学生に奢るんだよ?」
「わかりました!」
これもまた贈与の連鎖だ。トロブリアンド諸島のクラ交易は島々を回る貝の宝飾品の贈与の環だったけれど、社会人が学生に奢るのは過去から未来へと繋がり続ける贈与の連鎖ということになる。
御縁を繋ぐ環。これが贈与の第一の特徴だ。
だが、それだけではない。
贈与はときに、モノを増やす。
学問などまさに(本来は)そういうものだった。誰かが発見した知識を共有する。知識は共有しても減らない。十人に有益な知識が行き渡れば十人が等しく豊かになる。百人、千人。贈与されるたびに贈与物は増殖していく。そして贈与の環の中にいる人々を豊かにする。
贈与の連なりによる豊穣。これが贈与の第二の特徴だ。
私が創ろうとしたのは、御縁を連ねて人の網目をつくり、その中で贈与物を行き来させることで、そこに加わる全ての人が、つまりアーティスト、アートファン、コレクターがより豊かになる空間だった。
余白のアートフェア1でわざと使いづらい合宿所を展示空間にして「皆さんで助け合って展示空間を作ってください」とお願いしたのは、お互いに知恵や工夫を贈りあわないとアートフェアが成立しない状況を作るためだった。そうやって強制アイスブレイクをした上で、同じホテルで一緒にメシを食う。みんなアートが人生の人たちだから、すぐに打ち解け合ってそれぞれの経験や思考をシェアしはじめる。

こうして贈与の網目が出現する。
アートフェアが始まる。同じ部屋に2人、3人で展示している。来歴もキャリアも違えどみんなアーティスト。既にアイスブレイクは済んでいるから、お互いの作品の魅力に気づく。
「これ良いですね!」
「あなたのそれも良いですね!」
承認の贈与が行き来する。個々の部屋の中で始まった小さな承認の贈与の環はすぐに部屋を出て廊下に達し、やがて合宿所や茶室の中全体を回り始める。

それだけではない。愛☆まどんなさんが子育てとアーティスト活動を両立する経験をシェアしてくれる。大作を出展してくれる(あの売上が無かったら余白2は開催できませんでした)。みんながお互いの作品をSNSにシェアしあう。アートに関わるあらゆるものが余白のアートフェアという空間に贈与され、そこに関わる全ての人が贈与の豊穣の恵みを受け取る。
経験、知識、仲間、承認、もしかしたら売上。かけがえのない記憶。
それを持ち帰った人たちが繰り返し余白のアートフェアについて物語る。
また余白のアートフェアに行きたい。次はあなたも一緒に。
余白のアートフェア2にはそうやって、前回の記憶を持ち帰った人が沢山の仲間を連れて戻ってきてくれた。



贈与の連環は続く。
余白のアートフェア2では今度は愛☆まどんなさんが広野町への寄付金つきの作品を持ち込んでくれた。
先住民の知識と誇りを若者に伝えるために長老がはるばる旅をしてきてくれた。
美大を目指す子供たちにアーティストたちが自分の経験を語った。
公募に落ちた人たちが協賛金を送ってくれた。あるいは会場ボランティアに駆けつけてくれた。
そんなことがあるか? 何故そんなことが起きる?
答えは実は簡単なのだ。余白のアートフェアは贈与のアート空間だから。その贈与の環に飛び込むことの価値を知っているアーティストが沢山いたから。
余白のアートフェアという言葉を依り代にして生まれた贈与の空間。激しく行き来する贈与の軌跡が放つ光の束。

この光は誰もが私利私欲を離れて与え合うことで灯った。
だから贈与の連環を止め、そこにある豊穣の恵みを独占しようとする人が現れたとき、光は消え、奇跡の空間は失われる。
だが贈与の連環の網目をさらに広げていけば、いずれ二つめの光が、三つめの光が、四つめ、五つめの光が、この地上のどこかに灯るだろう。
ただしそれは私の仕事ではない。これを読んだ誰かに委ねようと思う。
この文章もまた、あなたへの贈与である。良き旅を。

