親方81人で不整地に3ヶ月で塔を立てる

第2回余白のアートフェアの参加アーティストは81人。

つまり81人の親方が参加する3ヶ月の現場、しかもロジなど条件劣悪で本来そこに建物など建てられないようなところに建物を立てるという難しい現場だと思えば良い。

集まった親方の中にはウクライナ人やリトアニア人もいるし、アイヌ民族もいる。大ベテランもいればまだ学生でこれがデビューの現場になる親方もいる。地元自治体は町長選の真っ最中で極めてセンシティブなシチュエーション。地元の学校とも連携しなければいけないし、来場者向けのワークショップもやって欲しいという要望が来て断れない。そしてもちろん助成金など無い。

そのシチュエーションでとにかく親方たちの足並みを揃えて建物を立て、怪我人や死人を一人も出さずに親方たちを家族のもとに帰さなければならない(前回は一人、暗闇で空足を踏んで足にヒビが入った親方がいた)。

そしてかかった費用を回収する。回収できなければ赤字は自分で被る。

この条件を読んで「そんなん楽勝だろチョロいぜ」と思った人はいるだろうか? この条件ではアートフロントギャラリーは断るはずだ。他のアートイベントインテグレーターも同様だろう。イベントの収支はどうあれ費用と報酬はきっちり支払われることがこの業界で案件を受注する大前提だからだ。

だから個人的実感としては自分の仕事人生でも難易度最凶の死にゲー案件だった。ああしたら良いのに何故しないというご提案のほとんどは頂く前に思いついて検討して、費用対効果や責任の所在や資金計画の問題で諦めたものだった。 表から見れば仕事雑なやつだなあとしか見えなかっただろうが、それでも第1回が開催2日目でやっと完了したウェブショップ作品登録は11月半ばには完了していたし、入場料収入もラジオやテレビや新聞の取材が沢山入って有料プレスリリースも打った前回をおそらく越えた。表から見えないところではフル回転で10-12月まで丸一日休めた日は1日も無かった(というか、今に至るまで「無い」。常に問い合わせや相談が入ってくる)。

たとえばこういうシチュエーションもあった。

国際的に知られたMid Career Artistたちから難しい要望が次々に届く。イベントの格を維持するにはなんとか落とし所を作って彼・彼女らを離脱させないようにしなければならない。もしもイベントが続いていくならばその歴史の中に彼・彼女らの名前があるのとないのとでは大違いだからだ。つまりイベントのブランド資産形成のための投資である。

各方面との調整。妥協案の提示。再交渉。相手は大和民族だけではない。文化が全く違う異民族のアーティストたちとの意思疎通。相互理解。それを大和民族の社会に軟着陸させる。どこからも不満が出ない結末などあり得ない。悪者は必要だ。では誰が悪者になるのか? 誰を悪者にするのか?  あなたならどうする? 杓子定規で突っ切ればイベントの先細りは見えている。

ちなみに今回は愛☆まどんなさんの隣に青木みのり、田中武さんの向かいで山崎晴太郎の裏に「よりきり」さん。ヴラーダ・ラールコの裏が油井綾子さん、マリア・プロシュコウスカの裏に緒方智奈美さん、アンナ・ズギャヴィンツェヴァの裏が曽根絵里子さんだった。そして結城幸司(世界各地の先住民コミュニティで知られるアイヌのアーティストですよ)のアシスタントで鈴木紅璃さん。

人口4700人の、町民会館らしいものもない自治体の古ぼけた有孔ボードを並べた体育館に、世界で活躍するアーティストと知る人ぞ知る日本の実力派と、紆余曲折ありつつもアーティストとして生きる覚悟の決まった人たちとが、隣り合わせやご近所さんで作品を並べる。草の根ローカルアートフェアではあり得ない光景。なんのためにそんなことを? 

ちなみに上に名前が出た有名アーティストたちで、在廊したがっていなかった人なんて一人もいない。みんな広野町のあの寒い体育館に来たくて、でもそれぞれの持ち場を離れられなくて来ることが出来なかった。

それでも国内組は結構なコストをかけて大作を届けてくれたし、ロシアに毎日爆撃されている国からもなんとか作品が届いた。

そしてあの2日間、広野まで来てあの空間を作った方々には、それを誇って欲しい。これからのアーティスト人生、心が折れそうになることもあるだろうが、あのとき私はあの寒い体育館であの人たちと肩を並べて戦ったんだと。私の隣には愛☆まどんなさんがいた、裏にはヴラーダ・ラールコがいた。

いつかアンナ・ズギャヴィンツェヴァやマリア・プロシュコウスカを見たら「戦友!」と思って欲しい。