美術批評を読むよりずっと大事なことをこっそり書いておく

僕は表の顔はただのちょっと学がありそうなチンピラフリーランスでしかないので、ここで大事なことを書いてもほとんど誰の記憶にも残らないと思うから、ちょっとだけ面白いことを書いておく。

アートと批評について。いわゆる美術批評の存在感がものすごく薄くなっているということは前に書いた。

それと、日本にも美学をやっている学会があって少なくとも真面目に美や芸術についての学問をやっていることは間違いない。美術批評というのもその界隈で書いたり読まれたりしている。もはや懐かしさ以外感じないような1980-90年代に流行ったフランス現代思想の用語が飛び交う晦渋な文章が(おどろくべきことに)今も現役の界隈である。

ただしそこで行われている学問や批評は、今現在のコンテンポラリーアートの制作や鑑賞とはほぼ関係無いと思っている。

もちろんそう思うに足る理由もある。

現代アート作家のキャリアは大きく分けて3段階あるのだが↓

Emerging 駆け出し
Mid Career 中堅
Established 大家

このうちEmergingからMid Careerへと這い上がろうとする段階の作家を主な対象とした外国の公募の内容を見ていると、20世紀型美術批評的な言葉が全く出てこないからだ。

(ちょっと脱線するとブルーピリオドとかギャラリーフェイクとかの美術マンガもベースになっているのは100年くらい前までの美術の世界の価値観だ)

それじゃあ(本来の意味での)現代アートに学問は関係無いのかというと、そんなことは全く無くて、むしろ学問はめちゃめちゃ大事である。

僕は不親切なので一番大事なところは書かないが、マックス・プランク研究所、ニールス・ボーア研究所、欧州原子核研究機構、カリフォルニア大学デービス校デジタル人文学研究所、マサチューセッツ工科大学芸術・科学・技術研究所。

こういうガチ理系の世界的研究機関が現代アートのプロジェクトの協力機関一覧ですとかいって並ぶのが日本の外の普通だ。そういうところの理系の研究者たちに審査書類を読まれて順位が付けられるわけだ。

(日本だとごく狭い人脈に連なるギャラリスト・批評家・美大教員・キュレーターと、あとは施主企業の中間管理職がゲートキーパー役になる)

逆にフランス現代思想やドイツ観念論哲学や今日本でだけ流行りの(Eテレにも進出した)例の哲学流派みたいなのは、ほんとに見かけない。

つまり、たぶん、今現在アーティストとして上に行こうとしているような人たちは、当たり前のように同時代の自然科学と社会科学の最先端の知見を勉強している。でないとセレクションで残れないからだ。

だから、今から同時代のアートを深く理解して楽しみたいという若い人は、カントやボードリヤールやフーコーくらいは一度とりあえず読むのも良いし、都心の大型美術館の現代アート企画展でデートする層向けの薄い新書を眺めるのも良いけど、その辺を一通りさらったら、自然科学や社会科学や計算機科学の最先端を追いかける方が良いだろう。

デリダやガタリよりもそっちの方がよほど大事だ。テクスト論だの記号論だの、もはや三丁目の夕日っぽさすら感じるレトロさだ。

あと、とにかく英語。ちょっと固めの学術書を辞書を引かずに読んで大雑把にでも理解出来ることと、そのレベルの英文で自分の作品のコンセプトを書けることと。そのレベルまで英語力を鍛えた方が良い。西洋美術史より英語力だ。

大事かもしれない話はここまで。

そんな話は聞いたことが無いって? それはあなたが日本語でしか情報を見ていないからで、今現在日本の美術業界で良いポジションにいる先生方は、わざわざ自分の立場が危なくなるような話はするわけないでしょう。