あるアートのコンペの講評会のログを見たら、ほぼ審査員の好みに合うかどうかで勝ち負けが決まっているように思えました。
ま、そんなもんですよ。
ペーパーテストみたいに1点刻みで得点が客観的に出てくるものでない限り、最低限これは無いだろうみたいなものを除外したら後は好みや趣味(や政治)。
受賞理由「ここが良かったから」なんて作文はどんな作品に対しても書けるものだし、測定機器で数値を測って比べられるもんでもないので。
だから一人の人間があまり多くの場所で審査員をすべきではないし(その人の好みが反映される部分が増えすぎるから)、コンペに落とされても「好みじゃなかったんだな」と理解すべきなんです。
「ある国の中で行われるすべてのアートコンペの審査員に必ず特定の一人の人間が入っている」という状況を想像しましょう。
よほどヤバイ全体主義国家でもないとありえないし、あったらグロい。
じゃあ「100人の審査員が全員、これが1等賞だと断言する作品がある」という状況は?
これも、よほどヤバいマインドコントロールが効いている世界でなければありえないし、あったらグロい。
ということは。審査員が変われば違う作品が1位を取る可能性は非常に大きいし、同じような人材プールから審査員が呼ばれていて、あそこでもここでも見るご尊顔というのがあれば、それはアートの多様性を毀損する方向で何かが動作していると判断出来ます。
日本って不思議な国で、国内の現代アートのコンペの審査員をいくつも掛け持ちしている人が5人以上10人未満くらいの間でいらっしゃいまして、あれは日本独特な気がするんですが。
世界の事情通を自認されるのであれば「同じ人間があんまり沢山審査員掛け持ちするものじゃないと思うので、他の人を探してください」って言ってみるテストもありかもですね。
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(1) Special Signature to Save a Soul ______________ (配点 50)
(2) Scarred Souls Shine like Stars ______________(配点 50)