これから世の中がどうなるかなんて誰にもわからないんだけど、その場限りの暇つぶし用の安価なコンテンツは工数の大半が生成AIになるんじゃないかな。
あとは極度に定型化されたもの。
萌え絵なんてその典型ですけども。
逆に、何度でも何度でも見返すようなものはAIはなかなか入っていけないのでは。
私は教え子の結婚や子供との記念写真で「センセー、写真撮ってください」と頼まれることが非常に多いんだけど、そういうときに作家性のあるフォトグラファーに撮ってもらうというのは記念品として強いわけです。
私は何でも商品レベルで撮れる人間ではないけど、「家族の幸福な写真を撮る」というケースに限るとかなり作家性のあるフォトグラファーである自負はあって、ブライダルフォト屋さんが撮るテンプレ写真に飽き足らないから呼ばれていると思っている。
テンプレものならAIや安い人で良いんですよ。
ライティングやコンサルティング、デザインワーク、翻訳、あるいはおそらく教師という仕事も含めて、私はかなり作家性が強い人間なので、出来るだけ無難な人に任せたいという発想の会社とは全くマッチしないのですが、無難なだけのクリエイターはAIに最初に食われるんじゃないでしょうかね。
今のAIは教師データがあるものを真似るのと、それベースで突飛なバリエーションを出すのは「安い早い上手い」。
だからテンプレ設定、テンプレ展開は人間より早く気の利いたものを作れるはず。今そういうものが無いのは、既にテンプレコンテンツは飽和していて利益が出ないからでしょう。テンプレものならタダで作って持ってくる生身の人間がいくらでもいるので、AIを使う意味もない。
映画とか小説とかドラマとか漫画の脚本をAIに読ませて売れそうかどうか測定させる、なんてのは広まるかもしれない。ランペのキャッチコピー程度なら既に人間よりコンバージョン率の高いものを出すAIがある。ま、AIが作ったストーリーや音楽や声やキャラや絵にお金や時間を使いたい向きはどんどん使ったら良いんです。それは自由。
一方、DLAIは多分この先も「構造が無いものを学習して生成する」のは苦手だろうと思います。あるかどうか検出できないけど「ある」ものね。
例えば私が昨日の午後に会ってきた教え子は、私が博士課程で受講していた阿部珠理先生の元ゼミ生で、しかも私の元ゼミ生で、つまり同門でもあり師弟でもあり。そして珠理先生はもう故人だけど彼女は最近子供を生んだ。だから我々二人の間には数十年に及ぶ一つの時間の流れがあるわけです。
しかしそれはテンプレコンテンツのようなわかりやすい見え方をしない時間なので、今日の我々が感じていた「あれ」を学習して真似してみろと言われてそれが出来るAIは存在しない。
ところが私はその気になれば「あれ」を小説やエッセイにして出力して、「そういうことですよね」と納得させられる。そういう、とても大きな物を前にした感覚(崇高)、あるいは美、真、善のようなものをいい感じに表現するにはAIは向いていない。対象が学習しづらいからだ。
ざまあとかイヤミスとか毒親とかクズとかエロとかチーレムとか不条理のような、簡単に学習出来るものはAIでも作れるだろう。つまり今のウェブ小説サイトのハッシュタグだ。あんなものはまさに「これを学習してくれ」と言っているようなもんで、そのハッシュタグのついた作品はそういうものだという教師データが丸ごと置いてある。しかもランキングだのPVだのコメント数だのといった数字まで紐づけして置いてあるんだから(笑)
ただ、今現在の日本の商業出版の編集者もその手のAIで簡単に学習出来るような低次の概念しかコンテンツのバリューとして認知出来ない人たちのように思えるので、もしかするとラノベや大衆小説の編集者がAIで代替される方が早いかもしれない(逆に「とにかく面白いものを送ってきてください」みたいな、何も言っていないのと同じフレーズしか言えない編集者も似たようなもん)。
ま、こういう話も「わからない人にはわからない」でもう良いだろうということも思っていて、今のAIで学習出来るようなレベルの情報・概念でしか物事を認知・理解できない人にわざわざ噛んで含めるように教えてやるのも面倒くさいので、数字を追うだけが人生みたいな人は離れたところから眺める程度で行こうかなと