メディアアートとメディアクラフト
学芸出版社から出たばかりの『カラー版 図説 デザインの歴史』を読んでいたら、今まで私がどうにも上手く言語化できなかったこと(私だけでなく、佐々木健一もできていなかった)の言語化のヒントがさらっと出ていました。
いや、昔から知ってたんだけど、知識が繋がったといいましょうか。
1851年にロンドン万国博覧会がありました。
そこで集められた膨大な工芸品や工業製品を散逸させないために作られたのがヴィクトリア&アルバート博物館です。
英語だとこうなる。
Victoria and Albert Museum
でも最初からこうだったんじゃないんですよここ。
最初のお名前はMuseum of Manufactures。
製造業博物館。
日本で言えばトヨタ博物館とかノリタケの森とか、ああいうジャンルです。
その後、South Kensington Museum(サウス・ケンジントンにあるから)という名前を経て1899年にV&Aになります。扱うのはファインアート以外のもの。当時の英語ではlessor artsなんて呼び方でした。音楽がある時期までmusic(西洋古典芸術音楽、いわゆるクラシック)とlight music(軽音楽。西洋古典芸術音楽と民俗音楽以外のものは全部ここ)に分けられていたのと似てます。今はapplied artですね。応用芸術。
このMuseumは成り立ちからして、工業製品のデザインをもっとカッコよくするには、良いデザインのものを集めないといかんという発想がベースにありました。
だってルネサンスとか古代とか異文化圏の美術品・工芸品なら大英博物館の担当だし、近代美術ならナショナル・ギャラリーがある。サウス・ケンジントンのこの施設は、歴史的なモノでもなければ絵画彫刻の名品でもない物件を収蔵するために生まれたんですね。
ちなみにここ、19世紀の写真のコレクションもすごいんです。
あれ? 写真が工業製品博物館にあるのって?
あるんですよ。写真がファインアートのいちジャンルとして認められたのは1970年代。それまでは工業製品扱いに近かったんですね。機械使うし。
さて。
この工業製品や手工芸品を集めた博物館の担当分野と、ナショナル・ギャラリーあるいはそこから分離独立したテートの違いが、どうも日本のとある界隈では理解されていないんじゃないか、というのが今日の気づきです。
何の話か。
文化庁メディア芸術祭ですよ。
今年限りで終わることがアナウンスされたやつね。
文化庁メディア芸術祭が終わりますという話が出ると、一部の「メディアアート」作家たちが反対の意思を鮮明にしました。
せっかく盛り上がってきたのにけしからんと。
私の意見は逆です。
日本独特の「メディアアート」を国が表彰しちゃうからいつまで経ってもチームラボとピタゴラスイッチと「作ってみた動画」がメディアアートだと勘違いされるんじゃないのってこと。
メディア芸術祭の「アート部門」で受賞させてもらってる日本人クリエイターたちも、その作品も、そりゃあ大したもんですよ。ハイクオリティ。ヴェリーヴェリーハイクオリティ。素晴らしい。
素晴らしいけど「これはどう見てもテートじゃなくてV&Aの系統のものでは???」という気がするんです。
応用芸術。気の利いた空間装飾をデジタル技術使ってやってみた! みたいな。これはmedia artというよりmedia craftとかmedia adornmentでは? という気がするんですね。凄い、凄いんだけど、違うそうじゃない!
(実際にはV&Aにもファインアート物件はたまに収蔵されるんですけど)
一方でmedia artといった場合、動画やデジタル技術を使ったファインアート作品を指すのが日本の外の普通です。
せっかくものづくりの技術とか作り込みの完成度は凄いのに、根本的な部分での勘違いによって海外展開が難しくなっているのはもったいない。
だからメディア芸術祭は少なくとも今の形では終わりにすべきだったし、実際に終わったからめでたしめでたしというのが私の考えです。
2:ピックアップアーティスト
File9 Valentina Soto Illanes ヴァレンティーナ・ソト・イリャネス
続きはこちら