公立中なんてものは公園や公民館と同じくらいのユルさであるべきと思う

稲城五中の1年生向けのプリント。

2019年度の1年B組の担任が一生懸命とかリスペクトとかいうフレーズを気に入っているようで、中学校から流れてくる文書のそこかしこで見かける。彼個人がそういう価値観を重視しているのは個人の趣味に属することなので、何も言わない。好きにすれば良い。

さて、こちらの文書を見ると、稲城五中の1年生には「主体性」「協調性」「向上心」を育てたいとある。

それもまあ、良い。というか、悪いことではない。

ただ、各概念を定義している文言を注意深く読むと、「向上心」だけが浮いていることがわかる。

例えば、ある生徒が強い意思と熟慮の上の判断により、体育祭は頑張らないということを決めたとしよう。

これは主体性の発露として高く評価すべき事案である。

この文書における「協調性」の定義には、自分と違った意見や考え方をもつ人たちと互いに助け合ったり譲り合ったりとあるので、体育祭は頑張らないという立場・意見・考え方を尊重出来ない奴は協調性に欠ける奴だということになる。

ここで駄目な奴は「向上心」を振りかざして「お前には向上心が無いのか」とか詰め寄ったりする。ブラック企業のブラック上司はだいたいこれだ。ただの詭弁である。企業であれば給料に見合う成果を出していれば向上心などゼロでも文句を言われる筋合いは無い。

公立中というのは公民館や公園と同じような、近所にあるからというだけの理由で誰でも利用するインフラである。私立中やわざわざ受験願書を出して入学する学校とは根本的に異なる。もちろん会社組織とも。

向上心を持たない自由は、日本国民であれば誰でも憲法19条で保証されている。

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」

稲城五中の1学年の「3つの柱」のうち「向上心」だけは、あまり無理強いすると憲法違反の事案である。

注意して取り扱ってもらえればと思う。

あと、ブラック上司の詭弁を詭弁と見抜けない人は労働災害に遭いやすいので、みんな気をつけてね。

出典:「稲城市立第五中学校 1学年だより 5号」(2019年5月)