熊野聡『ヴァイキングの経済学 略奪・贈与・交易』書評

熊野聡『ヴァイキングの経済学 略奪・贈与・交易』(山川出版社 2003)

著者は一橋大学の経済学研究科を出て名古屋大学の教授をされていた方です。経済学博士。専門領域は古代から中世にかけての北欧の経済史ということになるようです。

この本は中世北欧の文芸であるサガの分析から、いわゆるヴァイキングと呼ばれる人々(ノルマン人)の経済活動を、彼・彼女らの世界観や価値観、思想、社会制度から説明する形で論じたものです。

あ、ちょっと言い方が難しすぎましたね。

でも、そこがこの本の根幹でもあります。

まず「いわゆるヴァイキング」と呼ばれる、とはどういう意味か。ヴァイキングというのは、本来の意味は、船に乗って遠くに出かけて、力ずくで財貨を奪って持ち帰る活動のことなんです。

ヴァイキングをしていたノルマン人たちが、海外遠征と略奪だけで生計を立てていたかというと、全くそういうことは無くて、彼・彼女らは本質的には農民でした。

農場を経営する親分がいて、その下に家族や使用人がいる。中でも有力な親分は遠征用の船を持っていて、通常の仕様ですと片舷に20本のオールが付いていたから、両舷合わせて40人いれば、遠征用の船を最低限運航することが出来た。で、親分の息子が成人してから独立して農場経営者になるまでの数年間、いわゆるヴァイキング船で海外に遠征していた。これは通過儀礼の意味合いもあったようです。ヴァイキングによって持ち帰った財貨を、故郷で大盤振る舞いすることで、あいつは立派な男だと認めてもらう。その後はヴァイキング活動からは引退して、農場経営を本業としつつ、必要に応じて漁業をしたり、交易をしたりして家族と使用人を養う。

交易とは、例えば北極圏まで行って毛皮を手に入れたり、材木を入手して木が生えないアイスランドに持っていったり。

その交易も基本は物々交換で、手元にあって余分にあるものを運んで行って、行った先で余っているものと交換して来る。

そして、これがいかにもヴァイキングっぽいのですが、必ずしも平和的な交換というわけではなかった。道中も誰に襲われるかわからないので、交易もヴァイキング活動も基本は武装商船という形になります。ヴァイキング用の商船は最低でも40人の漕手兼戦闘員が乗っているわけだから、来られた方としちゃあ、めっちゃ怖いわけですよ。あれとこれを交換してくれと言われて、無下にハネつければ、いきなりヴァイキングに豹変するかもしれない。仮に自分の方にも40人の戦力がいたとしても、実力行使になれば被害は甚大なので、本当は嫌なんだけど、落とし所を見つけて交易する。

場合によっては、無理やりモノを奪って、対価を置いて帰って行くこともあったようです。これはノルマン人社会ではあまり好ましくないこととされてはいましたが、全面的にナシというわけでもなく、グレーゾーンの行為だった。

何故かというと、中世ノルマン人社会は本質的には贈与経済の社会だからです。

余っているものを融通しあうことで共同体を維持し、親分格は太っ腹なバラマキをすることで威信を得る。

貨幣経済の場合は、どこかで安いものを買い付けて、高値が付く所に持っていって売ることで、利益を得る。だから自分のものをいつ、どこで、いくらで、誰に売るのかは、自分だけで決められる。

中世ノルマン人の贈与経済社会では、これは非常に嫌われる行動で、余っているものを交換してくれと頼まれて断ることは、原則としてNGでした。交換要請に応じなければ力づくで奪われてもしょーがないんじゃないの、という社会。法律もその思想をベースに作られていました。特に重要な生産財である干し草については、余っているのに交換要請に応じなければ、代価を置いた上で力づくで持ち去って良いという法律さえ、アイスランドにはあった。何故ならば、干し草不足で越冬出来ない農場が発生すると、その農場が倒れて、そこにいた人々は流民になってしまい、社会不安につながるからです。だから、代価を置けば余っている干し草を奪うのは、アリとする。もちろんそういうことになる前に、交換に応じるのが立派な農民なのです。

なんとなく「経済活動を、彼・彼女らの世界観や価値観、思想、社会制度から説明する」の意味がわかったでしょうか?

交易活動にしろ、農業経営にしろ、中世ノルマン人の行動は、現代の主流派経済学で前提とされているような、儲けを最大化する方向に必ず動く人間というものではなくて、その時代、その地域の事情と歴史からくる色々な拘りや習慣にかなりの程度、縛られていたよということです。