ジークアクスのあまりの軽さにクラクラして、久しぶりに水星の魔女を見返してみた

既に多くの指摘がある「水星の魔女」と「少女革命ウテナ」とのオマージュ関係について、あらためて検討してみたのだけれど、やはり上手くオマージュを処理して独自の作品に仕上げていたのだなあという感想。

ウテナ水星の魔女比較検討
主人公:天上ウテナ主人公:スレッタ・マーキュリー主人公。ウテナは暁生にあっさり籠絡されるがスレッタはデリングとは絡まない。その代わりデリングと裏で結託したプロスペラに操られた状態が序盤から続くものの、プロスペラには終盤を前にして一方的にリリースされる。
花嫁:姫宮アンシー花嫁:ミオリネ・レンブラン「花嫁」として生徒間の「決闘」で支配権をやり取りされる存在。「花嫁」を入手した者が強大な力を手に入れることが出来るとされている。ウテナのアンシーは暁生に支配されているが、水星のミオリネは最初からデリングに刃向かい続けている。
家父長制とオトコの象徴:鳳暁生家父長制とオトコの象徴:デリング・レンブラン学園の最高権力者。暁生はかつて世界中の女性を籠絡して回っていた女の敵ディオスであったがアンシーに封印されており、現在は学園の中でしか女漁りが出来ない。そこで全ての女の敵ディオスとしての復活を画策し、そのために生徒たちを戦わせている。デリングはミオリネを託しうる強い花婿を探すために決闘システムを導入。
天の岩戸エピソード:アンシーは最終話でウテナによって暁生から解放される天の岩戸エピソード:ミオリネは22話でスレッタによって罪悪感から救出されるウテナはアンシー解放が物語の終着地点だったのに対して、水星の魔女ではその先にプロスペラの過去への執着からの解放が設定されている。
家父長制の扱い:女の敵ディオス・学園の支配者暁生という、家父長制と男性性は最終話のラストで全てアンシーに否定される。家父長制の扱い:ベネリットグループはミオリネによって解体されるも、それで問題が全て解決とはならなかったベネリットグループの中にはペイルの4婆のように女性の悪役もおり、単純な「男と家父長制をシスターフッドが打倒粉砕する」構造ではない。またミオリネとデリング、グエルとヴィムは喧嘩しつつも家族としての情愛が継続していたことが示される。
主兵装:ウテナは(女の敵)ディオスの力が宿った剣で連戦連勝主兵装:スレッタは(水星の魔女たちが開発した)ガンダム・エアリアルで連戦連勝ウテナはなんだかんだで男の力が勝負を決めている。水星の魔女ではプロスペラら水星の魔女チームの開発した技術が最強だった。
セクシャリティ:ウテナもアンシーも暁生に手籠めにされているセクシャリティ:スレッタとミオリネは最終話で同性婚エンドウテナとアンシーは異性愛者。スレッタはパンセクシュアルかもしれない。ミオリネはデミロマンティックのレズビアンという解釈も出来る。

 こうしてみると、25年の時差があるだけに、水星の魔女の方が色々と気が利いているように思える。

 まず作中での「男」「家父長制」の象徴である暁生とデリングだけれども、暁生なんてディオス時代から女と見れば落としにかかる下半身ユルいクズ野郎だったわけじゃないですか。そんなクズに引っかかったウテナとアンシーが色々あって最後になんとかシスターフッドでクズ城を脱出するのがウテナ

 一方の水星の魔女ではアンシーポジションのはずのミオリネは最初からデリングに刃向かい続けているし、スレッタは一度はエラン4号の色仕掛けにやられそうになるけれども結局色々あってエラン軍団の毒牙にはかからない。あっさり暁生にやられちゃったウテナより強いですよねスレッタ。11話でミオリネとデミロマンティック的に両思いになってからは最後までミオリネ一筋を貫いたし。

 作中で登場人物の戦闘能力を強化するアイテムも、ウテナは女の敵ディオスの剣(ってはっきりとは書かないですけど要はあれの暗喩ですね)、水星の魔女では魔女たちが創り出したガンド技術。

 登場人物のセクシャリティも水星の魔女のほうが複雑に描かれているけど最後はバシッと同性婚エンドだった。クイアアニメ論壇関係者の嗜好はよくわからんけども、セクマイの描写で水星の魔女が不届きだった箇所は特に無いように思える(視聴者個々の「こうして欲しかった」と混同しないこと)。

 こうやって見比べると、ウテナは「原作者が女性」「家父長制粉砕エンド」というあたりで第二波フェミニズム的には「素晴らしい」「こうでなければ」、となり、水星の魔女は第三波フェミニズム的なのでその界隈には物足りない、やはりウテナこそ至高ということなのかもしれない。