TOKYOハンバーグ「人間と、人間と似たものと。」劇評

この劇団の作る舞台は、前回の「のぞまれずさずかれずあるもの」の過去編に続き、2度目でした。

会場は予想外に大きな「座・高円寺」。

今回のテーマは、中国政府によるウイグル人弾圧でした。

もう、モロに。ボカシとか一切無しで、よく、ここまでストレートに書いたなあと感心するくらいに。仕立てはSF風で、クローン人間とか、人類を滅亡に追い込む生物兵器のパンデミックという小道具が使われてはいるのですが、うーん、それは必要だったかなあと、ちょいと疑問。

クローン人間を作って良いのかとか、生殖の代わりに現在いる個体の寿命を果てしなく伸ばすという手段はアリなのかという、それぞれすごく大きなテーマを脚本の中で持ち出してきているのだけれど、最終的にはそれらの問いが放置されたままで、ウイグル人弾圧というテーマに話が全て絡め取られてしまう。だから、後半で唐突に「実はウイグル人だった設定」のキャラが出現したり、主人公とマッドサイエンティストの対決がウヤムヤのままになったり。

やはりテーマは、クローン人間の問題か、ウイグル人弾圧の問題か、どちらかに絞るべきだったのではないか。

一見した限りでは、もともとはウイグル人弾圧に関する色々な報道が着想元としてあり、しかしそれだけだと芝居としてなかなか成立しづらいので、クローン人間というテーマの中に入れてしまおうとした。とはいえ、本当に語りたいのはウイグル人問題の方なので、過去の経緯を語るカットバックのシーンが半分近くを占めてしまう。過去の因果が現在の事件に関わっているという構造をなんとか作ろうと試みてはいるのだけれど、序盤で研究助手がクローン人間の大量生産に気づくきっかけなど、あまりにも強引過ぎるし、その助手が始末されるのもあっさりしすぎている。更にマッドサイエンティストの手先だった連中が最後の方で次々にベビーフェイスにターンしてしまうのも強引。未来パートでクローン人間として登場する少女の設定も、何でそうなってるのかはっきりしない。

それらの苦しい部分を役者たちの演技力で押し切って、舞台を成立させている。

決して褒められたクオリティの脚本ではない。

もちろん、よくぞこんな際どいテーマに真正面から切り込んだなとは思います。そこは本当に凄いし、役者さんたちの演技も素晴らしかった。

では、どこをどう整理したら良かったのか。

この芝居の「物語の核」を考えてみましょう。誰が、何をする一瞬が核なのか。

その一瞬の前と後で世界が決定的に変わるのは、どこだったのか。

おそらく、マッドサイエンティストの天馬が、パンデミックを起こした化学兵器の特効薬を完成させるところなんです。

それによって、クローン人間や、それを製造している組織、そのプロジェクトに関わっている人々の位置づけが決定的に変わる。

ということは、逆説的ですが、この脚本が中心として語るべきだったテーマはやはりクローン人間の問題なのであって、ウイグル人弾圧やウイグル人の人権問題ではなかったんです。背景として取り上げるのはもちろんありですよ。でも、そこに延々と時間を使い、カットバックの乱れ打ちで話の進行をモタらせるのは、物語作法としては良くなかったと私は考えます。敢えて脚本の完成度よりも裏テーマを語り尽くすことを選んだという可能性もあるし、それはまあそれでやっちゃいけないわけではないので、そう来ましたかと思うのですけども。