ついにはラノベ企画書用のテンプレをnoteで売る編集者まで現れたかうははは

小説の企画書のテンプレを一つ300円で売っている編集者というのを見かけたが、彼の勧める企画の作り方というのを読んでいるだけで「これ本編読まなくても企画書読んだらそれで充分なありがち小説が出来るやつだな」と思った。

いつも不思議なのだが、ライト文芸とかラノベの編集者って、自分たちの作ってるもの=小説って勘違いしやすいのかな?

たぶん私が2回以上読み返す小説ってテンプレベースの企画書作って書かれたものではないと思うんだよ。皆さんもそう思いません? トールキンが『指輪物語』書いた時にテンプレの企画書使ったか? ル=グウィンが『影との戦い』を書いた時は?

まあそういうものを作る人がいて売る人がいて、それを買って読む人がいることは「とても良いこと」なのだけれど。

もしも自社で新人賞募集しているところの編集者が「このテンプレを使えば【通る】小説に近づきます」と言ってテンプレをnoteで売ってたら、それはかなり職業倫理とか仁義とか道義として痛い事案だと思うけれども、そうでなくとも小説を主に商材として見ていることは伝わってきて、心がとても温まりますね。