ハーバード大などで長くライティングの講義を持っていたアメリカの文芸批評家、ルイス・ハイドの代表作”The Gift” (1983)は、芸術作品の社会的な動態を、文化人類学の基礎概念の一つである贈与経済の視点から考察したものである。
その第8章”The Commerce of the creative spirit”においてハイドは以下のような指摘をしている。
An essential portion of any artist’s labor is not creation so much as invocation. Part of the work cannot be made, it must be received; and we cannot have this gift except, perhaps, by supplication, by courting, by creating within ourselves that “begging bowl” to which the gift is drawn.(p143)
Having accepted what has been given to him==either in the sense of inspiration or in the sense of talent–the artist often feels compelled, feels the desire, to make the work and offer it to an audience. The gift must stay in motion. “Publish or perish” is an internal demand of the creative spirit, one that we learn from the gift itself, not from any school or church.(p146)
英語が苦手な向きのために要約しておくと、芸術家の仕事の本質的な部分は、どこかから芸術家にもたらされるものであり、芸術家はそれが自分のところに訪れることを祈り、待ち続けるほか無いというのが最初の引用の要旨だ。
そして、そのようにして芸術家のところに何かが訪れたならば、芸術家はそれを作品としてオーディエンスに届けなければならないという圧力を、または欲望を感じる。それはどこかで習うようなことではなく、訪れた何か(ハイドはそれをcreative spiritと呼んでいるが、ユダヤ教の影響が色濃いこの議論において、これを「創造的精神」と訳すのはあまり正確ではないように感じている。敢えて日本語にするならば「創造の霊」であろうか)そのものから芸術家が学ぶことである、というのが二つ目の引用の要旨である。
では、そのようにして形を与えられ、芸術家からオーディエンスに手渡された「創造の霊」はその後、どうなるのか。ハイドの考えでは、最終的には「創造の霊」はそれが生まれ出た場所へと戻ってゆくものであるという。
To whom does the artist address the work? Long ago we said that a gift eventually circles back toward its source. Marcel Mauss put the same idea in slightly different terms: every gift, he wrote, “strives to bring to its original clan and homeland some equivalent to take its place.”(p146)
ハイドはイェーツやエズラ・パウンドを例に挙げて、芸術家の内外に生まれるこのような贈与の流れを分析しているが、全てを引用するのは大変なので、ここではパブロ・ネルーダについての分析を紹介しておこう。
His gifts sprang, he felt, from brotherhood, from “the people,” and he quite consciously offered his art in recognition of the debt: “I have attempted to give something resiny, earthlike, and fragrant in exchange for human brotherhood”, He counted as “the laurel crown for my poetry” not his Nobel Prize but a time when “from the depths of the Lota coal mine, a man came up out of the tunnel into the full sunlight on the fiery nitrate field, as if rising out of hell, his face disfigured by his terrible work, his eyes inflamed by the dust, and stretching his rough hand out to me…., he said: ‘I have known you for a long time, my brother.’ “To find an unknown worker who had heard his poems was sign enough that his gift managed to bear some equivalent back to its original clan and homeland. (p147)
「彼は、自らが受け取った贈り物は、同胞たちからの、人々からのものであると感じていた。
そして彼は自分の芸術が(同胞たちへの)負債を負っていることに極めて自覚的であった。
『私はなにか粘ついた、あるいは土くさい、あるいは芳しいものを、人々の絆への返礼として差し出そうとしていた』。
彼は自分の詩に与えられた桂冠は、ノーベル文学賞ではなく、次のような瞬間であったとしている。すなわち
『ロタの炭鉱の底から一人の男が、ダイナマイトの臭いが漂う日光の下へと這い出してきた。まるで彼は地獄から現れたかのようだった。その顔は坑夫という彼の仕事のせいでひどく汚れており、目は埃で真っ赤に充血していた。彼はざらざらに荒れた手を私の方に差し出しながら言った。「あんたのことは、ずっと昔から知ってたよ。兄弟」』。
彼の詩を知っているという、名前もわからないこの労働者に出会ったことこそ、かつて彼が受け取った贈り物が、それが生まれた場所へと還りついていたことの、動かぬ証拠だったのである」(いま一気に訳したので細部まで推敲はしていない)
小説に限ったことではないが、自分は何か創作物を見る時、ハイドのこの議論を念頭に置いている。
これは何かを受け取って創られたものなのか。これはその何かを、その始まりの場所へと還そうとしているものなのか。
この流れが上手く作れていない創作物は、痛々しい。努力は認めるにやぶさかではないが、価値という点では辛くならざるを得ない。自分を大きな贈与の流れの一部として再定義してみると良いのでは、とも思うのだが、余計なお世話かなとも思うので、たいがいは何も言わない。
ノーベル文学賞が2年分まとめて発表されたということで、ささやかではあるが、今日は無償の労働奉仕としてハイドの本の一部を翻訳してみた。どこかで創作に苦しむ誰かのお役に立てば幸いである。