機動戦士ガンダム・水星の魔女と修復的司法

この記事の要点

  1. スレッタとミオリネの結婚は「片方の父親をもう片方の父親が殺害した」という関係性を持っているが、それがどのようにして和解に至っているのかを考える。
  2. 従来的なガンダムと「水星の魔女」を「罪過への懲罰(Retributive justice)モデル」と「罪過による被害の修復(Restorative Justice)モデル」の違いとして解釈することを試みる。

殺した父親と殺された父親

「水星の魔女」最終回で成立した家族のコアになっているスレッタ・マーキュリーとミオリネ・レンブランの「夫婦」って、スレッタの遺伝上の父親(ナディム)がパートナー(ミオリネ)の父親(デリング)に殺されているという、まるで戦国時代な関係性を内包している。

なかなかにハードな関係性で、これをどうやってあのハッピーエンドに着地させているのかなと思って、もういちど24話を見たら、スレッタたち(エラン4号やエリクトやソフィやノレア)が発生させたデータストーム空間の中でプロスペラがナディムやスレッタと会話するシーンに、この関係性のヒントがあった。

  1. スレッタがILTSを止めた後、プロスペラは死のうとする「私は私を許せない(ヴァナディース事変で殺された仲間たちのための復讐を捨ててまで追求したエリクトの復活が頓挫したので)」
  2. ヴァナディース事件で殺害された被害者であるナディムたちが現れて「あんたはよくやった」「ここまでだ」「こっちに来るのはまだなんじゃない」と声をかける
  3. スレッタが現れて、エリクトのためにデリングへの復讐を捨てたプロスペラを「肯定します」と語りかける
  4. エリクトとの再会。エリクトはスレッタたちと一緒に生きていきたいとプロスペラに語りかける。
  5. クワイエットゼロ消滅(クワイエットゼロ消滅は元ネタの「テンペスト」のプロスペローのセリフからの引用↓)
  6. スレッタによるエリクトのサルベージ

Our revels now are ended. These our actors,
As I foretold you, were all spirits and
Are melted into air, into thin air:
And, like the baseless fabric of this vision,
The cloud-capp’d towers, the gorgeous palaces,
The solemn temples, the great globe itself,
Yea, all which it inherit, shall dissolve,
And, like this insubstantial pageant faded,
Leave not a rack behind. We are such stuff
As dreams are made on, and our little life
Is rounded with a sleep. Sir, I am vex’d:
Bear with my weakness; my old brain is troubled.
Be not disturb’d with my infirmity.
If you be pleas’d, retire into my cell
And there repose: a turn or two I’ll walk,
To still my beating mind.

The Tempest
ACT IV
SCENE I. Before Prospero’s cell.

ここの下りはアニメというよりまさに舞台劇のような演技とセリフ回しに思えます。

さて。

ヴァナディース事変の被害者であるプロスペラは、今までのガンダムだったら間違いなくシャアみたいな復讐鬼になってデリングやミオリネを殺しにいってたポジション。しかしエリクトのために復讐を捨てていたわけですね、実は。第1話から。それどころかスレッタとミオリネの結婚すら反対もせずに受け入れていた。

そこが伝統的ガンダムの世界観が水星の魔女でも踏襲されると当然のように期待していたオールドファンからすると、「なんだこれ」となるところ。

伝統的ガンダムだったらどうなるかな?

とりあえずデリングは確実に消されるよな。サリウスやケナンジも。

デリングのキャラ設定ももっと平べったいギレンみたいなのになってただろうし。23話で議会連合艦隊とクワイエットゼロ=プロスペラの戦闘を止めるために、重傷の体で査察部に協力するなんてこともせんかったでしょう。

デリングと同じくサマヤ/マーキュリー家の仇敵のケナンジが学生たちの見守り役で参戦していたのも印象的。

昔風のガンダムだったら、プロスペラがクワイエットゼロを強奪してエアリアルとともに議会連合やベネリットグループに決戦を挑む、そんで双方の主要キャラがバカスカ死んで、ケナンジもグエルやミオリネあたりを庇って壮絶に戦死して。最後は御三家寮のモビルスーツが全機出撃してスレッタとミオリネの乗ったキャリバーンをクワイエットゼロに突入させて、みたいな展開か。スレッタとミオリネとエリクトの説得でクワイエットゼロが止まった瞬間にデリングがILTSをぶっ放してクワイエットゼロ大破、ミオリネ激怒、もう一度ILTS発射を命じたデリングをシャディクあたりが後ろから撃って、これにてデリングもプロスペラも懲らしめられましためでたしめでたし。エピローグは水星でひっそりと暮らすスレッタとミオリネ。ガンダムっぽいというと、こんな感じ?

そういうのを全部やめて、デリングとプロスペラの呉越同舟的なクワイエットゼロ計画を最終決戦前に突如浮上する大型伏線にしたので、それならこの二人の葛藤とかなんとかかんとかをもっと時間かけて描写しといてくれやす、という感想を持った人もいたんだろうなあと。

(私は「なるほど、そう来たか」で納得できましたけどね)

懲罰的正義から修正的正義へ

さて、エピローグの家族シーンの話に戻ると、24話の舞台劇風のシーンでスレッタはプロスペラがデリングへの応報より修復を選んでいたことを理解・肯定しているので、ミオリネとの結婚に関して家族の仇敵であるデリングへの懲罰を志向しない。という理解が成り立ちます。

従来的なガンダムでは仇敵には復讐、悪役は悪役、悪いことをしたやつには因果応報という懲罰的正義の演出だったのが、水星の魔女は元ネタのテンペストのモチーフを修復的司法(正義)に似た解釈でストーリーの鍵にしているから、従来的ガンダムの感覚で見ると「なんなんだこれは」となるのではないか。

修復的正義というのは、例えばプロローグで破壊された家族(ナディム、エルノラ、エリクト)はエピローグでは修復されている(スレッタ、ミオリネ、エリクト、エルノラ)。これを “because crime hurts, justice should heal” (犯罪は傷つけ、正義は癒やす)という考え方から見ると、ある種の正義が行われたということになる。

Restorative justice is a process where all the stakeholders affected by an injustice have an opportunity to discuss how they have been affected by the injustice and to decide what should be done to repair the harm. With crime, restorative justice is about the idea that because crime hurts, justice should heal. It follows that conversations with those who have been hurt and with those who have afflicted the harm must be central to the process. Empirically it happens to be the case that victims of crime are more concerned about emotional than material reparation (Strang, 2003). Lawyers are obviously not well placed to give an account of these emotional harms and how they might be healed. Hence, the practice of restorative justice has become a de-professionalizing project. Yet we will see that lawyers still have an important, though decentred, place in a restorative justice system.

Restorative Justice and De-Professionalization

ちなみにプロスペラとエリクトはクワイエットゼロに攻めてきた評議会艦隊を殲滅しているけどあれは良いのかという議論は日本語でも英語でも見かけたが、プロローグでもクワイエットゼロでも先に攻撃しているのは評議会艦隊。手を出さなければやられなかった。しかもデリングがわざわざ止めに来たのにね。

いずれにせよ、あれは軍人が公海での戦闘で負けて戦死したわけで、犯罪の被害者ではない(どころかプロローグでは同じ勢力がプロスペラの家族や仲間たちを殺戮している)。

プロスペラはプロローグでの被害者であったが、そして娘たちに自分への罰(自ら死ぬこと)を止められて修復に加わることになったのが水星の魔女の結末。デリングはプロローグでの加害者だったが、本編が始まってからは(おそらく)スレッタのアスティカシア高専入学を認め、ミオリネとスレッタの起業をPEとして支援し、テロリストからミオリネをかばい、評議会艦隊の壊滅を防ごうとするなど、修復的な動きで実は一貫している。

またスレッタとエリクトがILTSをオーバーライドする直前にはソフィとノレアも力を貸すために涅槃から駆けつけているシーンがあり、更に遡るとキャリバーンのデータストーム空間展開はエラン4号がサポートしている。

これらが、従来ガンダムの大半でやっていた復讐・因果応報and/or革命失敗全滅ストーリーとの大きな違いだ。

Restorative Justice的な方向性でのエンディングを作った水星の魔女は新しいガンダムということだ。これが本稿の結論。

何を言ってるんだガンダムは因果応報とやられたらやり返すの果てにみんなで不幸になるのが売りだろうという意見ももちろんアリ。

こういうのとか

主「自分が思うに、初代や富野由悠季監督がガンダムで達成した偉大さというのは、戦争を語ったとことだと思うんだよ。

 それはある種の……絶対悪の悪の軍団が出てきて〜とかではなく、お互いの正義と正義のぶつかり合いと、複雑な社会と大人の、ある種腐った魂胆が交差するような物語。

 日本の場合、実写映画やドラマで戦争を語ろうとしても、それは第二次世界大戦の日本を語るだけで、戦争は語らないんだよね。その意味では、ガンダムを含めて、戦争を語れるメディアとしてアニメや漫画は、まだ成立している」

<辛口>『機動戦士ガンダム 水星の魔女』感想&評価! ガンダムらしさとはなんだったのか?

私はファーストと水星の魔女だったら水星の魔女をより高く評価しますけども。糞みたいな泥試合はウクライナ戦争のニュース追ってるだけでもう十分摂取してます。

参考までに

参考までに、紛争の修復的な解決プロセスとしてわりと成功したのは南アフリカのアパルトヘイトの解決のときにネルソン・マンデラがやったTruth Commission: South Africa。

紛争の解決プロセスとして大失敗だったのは、とりあえず停戦させたミンスク合意。