「この作品は設定が破綻している」という主張と陰謀論の相似

これに限らず、あの高密度の作品を隅から隅までじっくり見て、サブテキストやモチーフとなった戯曲を見て、ということをせずに 「俺に伝わらなかったから脚本がだめ」 「俺がわからなかったから設定そのものが無い」 などと断定して吠える人が多くて面白い水星の魔女。

日本語空間を眺めている限り

1) 推しカップリングがスレッタ×ミオリネ以外だったので公式エンドが許せない

2) 親世代がまとめて爆散する勧善懲悪エンドが見たかった

3) とにかく大戦争が見たかった

これらの理由で水星の魔女を認められない

→水星の魔女は設定が破綻しているという主張で憂さを晴らす

→設定が破綻しているという結論が先に確定しているので、それを補強する情報だけを集め、予め考えた「設定破綻という設定」に合わないテクストは無視するか見落とす.

ここまで「自分の思い通りにならなかった作品を絶対に許さない」人が多いIPも珍しいのではないか。 SWシリーズとかどうなのかな?

そういえば仮面ライダーシリーズでも作品アンチ化した人が愛用するネガティブフレーズの一つに「設定ガバガバ」があったような気がする。普通なら「この作品はnot for me」と判断した時点で視聴打ち切りで終わるはずなんだけど、推しカップリングがあるとか、シリーズそのもののファンである場合、好きなんだけど嫌いという葛藤状態が続くので、それを中和するための物語として「これは設定が破綻した作品」というものがあるのかもしれない。

「制作側・作者は気づいていないけれど私(たち)は気づいている設定破綻」という物語を導入することで、本来なら作品世界についての最高審級である公式よりも上の審級に自分を置き、公式のテクストを「脱・公式」化する。 反ワク脳や放射脳やZ脳の(比較的無害な)亜種ということだろうか?

面白い現象だ。