国産ファンタジーに頻出する「常備軍としての騎士団」という矛盾がちょっとつらい

国産ファンタジーに頻出するのが、常備軍としての騎士団という存在だ。

まいどまいど俎上に載せて申し訳ないが、「グイン・サーガ」でも多くの国家が首都に常備軍としての騎士団を駐屯させている。近年のウェブ小説でも、常備軍としての騎士団という組織は見つけるのに全く困らないくらい多い。

だが、少なくとも現実世界では騎士団が常備軍であったことは、知る限りでは、無い。

騎士というのは封建制度を前提とした軍事制度である。領地や特権を上位者が保護する代わりに、上位者の呼び出しに応じて被保護者は(兵科としての)重装騎兵として戦闘に参加しなければならない。

※制度の話なので、戦場でしばしば重装騎兵が騎乗せずに戦闘していたという話はここでは関係ない。

この重装騎兵としての諸技能の育成を徒弟制で行ったので、修行を終えた重装騎兵かどうかを区別するための通過儀礼が生まれた。この儀式を経た者が「騎士」である。そして騎士が出陣するのは国の要請ではなく、臣従している主君の要請に従うものであり、木っ端領主と木っ端領主の私闘でももちろん騎士は出陣している。中世に城塞が大量に築かれたのは、騎士たちの暴力的闘争が頻発していたからであり、すなわち王や皇帝の統制が及んでいなかったことの証左でもある。

では騎士団とは何か。

元々は十字軍運動の中で、エルサレムに巡礼に来るキリスト教徒に道中の護衛と傷病者の手当を提供する任意団体として発生した騎士の集団が、カトリック教団の社会制度の中に取り込まれて、修道会として公認された。これが騎士団だ。だから本来は「騎士修道会」である。

これら騎士修道会は領地を獲得し、多くは君主国との戦いの中で滅びていった。中には騎士団総長がカトリック教団から離脱して騎士団領を世俗の君主国にしてしまったものもある(ドイツ騎士団→ドイツ騎士団国→プロイセン公国→プロイセン王国)。

だが、騎士団領や騎士団国であってもその軍制は封建制度がベースであって、常勤雇用で軍務に専念する兵士の集団ではない。

一方で、騎士修道会や儀礼を経た戦士身分としての騎士が歴史から姿を消すのと入れ替わるように、君主が臣下に名誉称号として「騎士」を与えるということが始まった。これを「ナイト爵」という。「ナイト爵」にはそれぞれナントカ騎士団の騎士、という添え書きが付いている。

例えばデヴィッド・ベッカムやJ・K・ローリングは「大英帝国騎士団 (Order of the British Empire)」の4等騎士だし、池田理代子は「名誉軍団国家騎士団 (L’ordre national de la légion d’honneur)」の5等騎士ということになる。

だがベッカムやローリングがイギリスの常備軍の兵士なわけはなく、池田理代子はフランス軍の兵士ではない。

ちなみにナントカ騎士団にもグレードが色々あって、中世に設立されたものが取り潰されずに残ったものは、概してグレードが高い(バス騎士団、ガーター騎士団、サンティアゴ騎士団、金羊毛騎士団など。ドイツ騎士団もプロイセンにならなかった部分は神聖ローマ帝国内部で存続している)。

いずれにせよ、近世以降の国家騎士団は名前だけの存在だ。何故ならば、近世とは騎士たちに与えられていた特権や領地を君主が剥奪して、中央集権化していった時代だからだ。領地や特権保護の代償として出陣するシステムの中の戦士階級である騎士が不要になり、お給金を払って雇う兵士たちで戦争をするようになったからこそ、こうした中央集権化が可能だった。

そこを理解していれば、常備軍としての騎士団というのが「ホット冷やし中華」のような概念だということはわかるはずなのだが。

常備軍としての騎兵部隊、あるいは重装兵部隊(中世の「騎士」は騎乗せずに徒歩で戦闘を行うことも珍しくなかった)を作中設定として「騎士団」と呼ぶことも、まああって良いとは思うが、であれば何故「騎兵」ではなく「騎士」なのかという問題が出てくる。西部劇でおなじみの「騎兵隊」の正式名称は「アメリカ合衆国陸軍第7騎兵連隊 (United States Army 7th Cavalry Regiment) 」だが、管見の限りでは21世紀国産ファンタジーの「騎士団」は「騎兵連隊」や「騎兵大隊」でも問題無いように思える。

ファンタジーなのだから「超人的な能力を持つ戦士を騎士と呼ぶ」というのでも良いだろうし、「戦功によりナイト爵を与えられた兵士だけで編成された部隊」でも良いだろうが、とにかく何らかの創作上の必然性を用意しておいてもらえると、あまりつらくない。

異世界シャワー問題についても同じことを思うのだが、単に不勉強で史実の技術レベルや社会制度に照らして、そのままでは矛盾が発生するものをファンタジーに出してしまったときに、他の有名タイトルだってやっているんだから良いじゃないかと「みんなで渡れば怖くない」論法で突っぱねるとか、こう読めばギリギリで成立していると読めるじゃないかと居直るのではなく、まず創作上の必然性があるかないかで判断して、どうしても創作の上で史実とかけ離れた設定を使いたいならば、読者が作者に忖度しなくても自然に理解出来るような書き方をするのが良いのではなかろうか。

追記:拙作では本稿で論じたような理由から、「騎士団」ではなく「騎兵大隊」を登場させています。

既に戦場は歩兵方陣と銃兵と砲兵と軽騎兵、この4兵種の協力の時代になって久しく、重装騎兵としての騎士というものは消え去っている。しかしながら、かつての、捨て身の突撃を担う決戦兵力としての覚悟と誇りを与えるための儀式は、現代の戦士の独り立ちの日においても有益であると考えられた。現にアルソウム陸軍の騎兵は全て、親方資格を取得した男たちである。唯一、傭兵見習いが配属されないのが、騎兵大隊なのだ。

叙任式」より

ビシャナ伯の指揮下に集まった15個連隊はアバルサ軍団と名付けられ、開戦から3週間後にモヴァルを出てコステル丘陵を東に向かった。全ての連隊が戦時編制であれば兵士の定数は3万人で、これに軍団司令部直属の砲兵3個大隊900と軽騎兵3個大隊3000、合計で33900人となるが、実際には歩兵連隊の充足率は8割に届かず、このときアバルサ軍団にいた歩兵は23000人ほどである。

兵站貴族」より