『社会学はどこから来てどこへ行くのか』について私が書いた記事に関する岸政彦さんの連ツイについて、思ったことをまとめる

昨日一昨日はかなり前に書いた『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣、2018)の書評にすごいPVが来ていて何かと思ったら、著者の一人で高校の先輩でもある岸政彦さんが連ツイで紹介してくださっていました。

言いたい放題の不躾な書評で申し訳ありません。もちろん私自身も日々頑張ってやってます。

岸さんは連ツイの最後に、社会学が行政やビジネスの現場で直接的に価値を生み出しうる研究分野である、ということを理解した上で、そうした諸々の現場と、そこに結びつくことで価値を生み出しうる社会学の諸研究をマッチングさせられるプロデューサー的な存在が日本に居ないことも指摘されました。

岸さんの指摘は正しいと思います。ですが、いきなりそういう便利な存在が現れて研究と営利セクターの現場を繋いでくれる状況が実現することは無いので、まず必要なのは、研究者が研究者以外に向けた情報発信を増やすこと、業界外の人たちとの交流や対話をどんどん持つことだと思っています。

私の経験の範囲では、ビジネスパーソンの中にも「もっと勉強したい」と思っている人は少なくないですし、そうした人たちは社会学にも興味津々なのです。ただ、あまりにも分野が広大すぎて掴みどころがない(それでも興味はあるから、大澤真幸の『社会学史』は、これも東大の社会学の先生からの砲撃をくらいつつも、なんだかんだで売れているんだと思います)。

私自身も自分の手が届く範囲に向けては、学部の講義レベルの噛み砕きかたで、日々、情報発信をしているし、大きな会社の商品開発の一部にそういうものが役立つ瞬間というのも経験していますが、一人じゃ無理なんです。50人、100人と情報発信する人がいないと。

そうやって社会学の価値が営利セクターでも広く認識されれば、回り回っては日本の大学の社会学のポストの安定性も向上するだろうし、大学院から営利セクターへの就職ルートも太くなるだろうと思うし、そうなれば大学院レベルで社会学を学びたいという日本の若者たちに「ハイリスク・ローリターンの極みだから考え直せ、というか絶対に止めろ」と言わなくても良くなると思うので、「自分でやれば良い」と突き放すのではなく、それでもなお膨大な数が日本に存在している社会学者の皆さん一人ひとりが、出来る範囲ででも社会学の良さ、面白さを業界の外に向けて語って欲しい、というのがあの書評の意図でした。

もちろん、短期的に見ればそんなことをするよりも業界内で飲みニュケーションを重ねてネットワークを築く方が楽しいし、研究にも役立つし、特にテニュアの先生なんかインセンティブが当面ゼロなのはわかります。

でも、そういうことをみんなでやってきた結果が、今の、防戦一方でウォール・マリアはとうに陥落しウォール・ローゼも危ない感じの日本の社会学業界なのではないですか。

テニュアの先生方だって定年後の選択肢が広がると思いますよ。岸先輩は定年後は作家でバリバリにいけちゃうでしょうけども。