自分で商売やってみると痛感するが、現代社会では太い流れを生み出せるかどうかが決定的に勝負を分ける。
極太のキャッシュフローか極太の人の流れを握っていれば、黙っていても人やモノやカネは集まってくる。極太の人の流れを生み出す力とは、すなわちブランドの力。ブランド力はそれほどカネになる。
MITメディアラボのスタッフの一定割合が中身のないものだったとしても、ブランド力が圧倒的ならばそれだけでも雇う価値がある。何故ならブランド力のあるところにカネは集まり、キャッシュフローの太いところに人は集まるからだ。だから勝ち組はますます強くなるのが現代社会だ。大半のカネと人はスネークヘッドが掻っ攫い、ロングテールはあるんだか無いんだかわからない状態で果てしなく続く。ディズニーやマーベルや新海誠が地引網で客とその財布の中身を根こそぎにして行った跡で生き延びられるのは、仮面ライダーや京アニのようにニッチの中のスネークヘッドになった者だけだ。
伊藤穰一がエプスタイン資金を引き込み、あるいはスプツニ子を専任教員にした理由はそれだろう。
キャッシュフローの太さは組織の強さであり、知名度の高さはキャッシュフローの源泉の一つだからだ。
スプツニ子が4年間でMITで生み出したものは博報堂や乃村工藝社あたりなら3ヶ月で作れるだろうが、問題はそこではない。
同じものを同じ原価で作るなら、ブランド力のあるところに乗った方が遥かにキャッシュフローが太くなる。様々な組織がスプツニ子に乗り、ライゾマティクスがPerfumeに乗る理由は簡単だ。その方が遥かに容易に勝負に勝てるからだ。自民党が小泉進次郎や今井絵理子をスピード出世させる理由もそれだ。知名度とはそれほどまでに強い。
個人的には、無名ブランドのものが有名ブランドに勝とうとしたら、同じ売価で3倍以上のクオリティを実現しなければ無理だと思っている。しかし有名ブランドのキャッシュフローは製造・流通コストの勝負では暴力的なまでに強い。だから製造業では徒手空拳で無名ブランドが有名ブランドに立ち向かうなど不可能に近い。ダイソーとユニクロと無印良品の恐ろしさは、B2Cのモノづくりの商売をしている者なら誰もが骨身にしみているだろう。こんな値段でこんなもの売られた日には、死ぬしか無いぞと。
だからこそ強運や努力で「知名度」を手に入れた者は大きく稼げるし、彼・彼女が適正に納税している限りにおいて、それは正しいことだ。中身のあるなしなど問題ではない。ブランドだけでも、それが強烈なブランドであれば、それだけですごいのだ。