バイラルメディアのオーディエンス論

バイラルメディアの良くないところで真っ先に上がるのは、著作権侵害ですけれども、オーディエンス側のバイラルメディア・コンテンツの受容のありように注目すると、別の問題も見えてきます。

「ええやん」とかシェアとか「すごい!」みたいな空コメントがいっぱい貰えたら、それでもう自分がなんかやってる気分になっちゃうという問題。

実は私のコンテンツもバイラルにパクられてるのがあったりするんですが、それで何か良い議論が生まれたり問題提起になったりというのであれば、バイラルによる知財窃盗も見なかったことにしてもええんです。

でも実際のバイラル受容は違うでしょ。

シェアするときに深い考察があるとか、そのスレッドで熱い議論が展開するとかほぼ見かけない。「考えさせられる」「~~なんだろうか」みたいな一言コメントを添えてバイラルをシェアして終わり。承認のジェスチャー(「ええやん」、シェア、空疎な賛同・賞賛コメント)をいっぱい貰いたいだけだから、何かクリティカルなコメントがついてもスルーしちゃう。

結局のところ、バイラルに加担しているというか、共犯なだけな気がするのです。バイラルが一次パクリとすると、一言コメントシェアは二次パクリという感じ。

私の意見はシンプルです。バイラルをシェアしたくなることもあるでしょうけど、せめて何かそのコンテンツをベースにした知的創造や意見交換が行われるような形でシェアしましょう。それがパクられ元のクリエイターへの最低限のリスペクトなんじゃないのかね。