常勝将軍が勝てなくなる時

西村玲の自殺についての反応を見ていると、人文系の大学教員の多くは、「日本社会が悪い」という慨嘆で終わり、理系は「文系って大変なんだね」と驚き、アカデミアにしがみつかなくてもどうにかなっている博士たちは「柔軟さに欠けた結果だね」と突き放す。
 
院生たちは頭を抱える。学振SPD(日本の全ての学生の頂点の称号だと思って下さい)でも就職出来ないのかと。
 
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(この匿名アカウントはテニュアの教員らしい)

彼女は他人の10倍、100倍の努力をした人でしょう。
そして、努力によって獲得した実力の差が結果にストレートに反映される勝負では全て圧勝した。勝って勝って勝ち続けて、全日本人文系学生の頂点に立った。
 
これは間違いなく凄い。偉大な達成。いくら称賛しても称賛し足りない。
 
しかしながら、実力差がどれだけあっても、それ以前の大人の事情で勝負が決まってしまう場(いくらでもあります。私は大人の事情とやらが大嫌いですけれども、腹立たしいことにいくらでもあります。大人の事情を無批判に受け入れていたら実名でこんなブログ書きませんよ)では、彼女は極端に弱かった。原武史のリークによれば明治学院の専攻では最終まで残っていたそうだが、大人の事情で落ちた。だから、善戦はしていたはず。
 
 
だが、それまで常勝将軍だったからなのか、負けるということに極端に弱かった。すなわち打たれ弱かった。気の毒なほどに打たれ弱かった。皆さん上品だから口にしないでしょうけど、私は下品だから代表して言うぞ。
 
「公募に二十数件落ちただけで絶望? 一桁足りなくない?」
 
そして、いきなり「専業主婦に収まる」という古典的な逃げ道に駆け込み、そこでも失敗して、ギブアップした。もちろん逃げることは恥ではないが、逃げるのも下手だった。
 
そうした諸事情も本来は闇に葬られて終わったのだろうし、そうであれば私も論評は控えめにしておいたであろうが、遺族や周囲の人間が、彼女の死後にマスメディアを使って問題提起をしかけ、しかも元夫への人格攻撃を展開しているわけで、ならば西村玲が場合によっては同情ではなく批判の対象となることも覚悟の上だろう。
 
私が西村の人生から教訓を得るとしたら
 
「負ける経験は大事。早めにいっぱい負けておいた方が良いかもしれない。」
「大人の事情で負ける経験も、ムカつくけど大事。」
「特定分野にリソースを全投入するのは個人の自由だが、その分野がオワコン化してしまった時にどうリカバリーするのかを考えないのは愚か者。」
「色々なことに興味を持って手を出しておくことは、やはり必ず自分を助けてくれる。ゲームでも動画でも特撮でも。要するに個人の中でも多様性が大事。」
 
彼女に宗教社会学方面に横展開する柔軟性があれば、余裕でアカデミック就職出来てたんんじゃないかと思うんだよ。マーケティングが全く出来ていなかった人だと思う。
 
あるいはノンアカデミックの世界でだって生き延びられるオプションはあった。私のような汚れた元アカデミックのビジネスパーソンに相談してほしかったよ。何とか出来たかもしれない。私はこれまでにも無償で若者たちの転職を散々手引きしてやったよ。
 
合掌。