ああ今年が終わる。
毎年毎年激動で、例によって1年前の今頃には想像の範囲外な仕事をしていた今年の下半期でした。
来年の年の瀬には何をしていることやら。とにかく今メインで請け負っているプロジェクトのマイルストーンを一つ一つ刻んで形にして世に出して、ああ、あいつに頼んで良かったなあと思ってもらうというのが来年前半の目標ですよ。
その先のことは・・・・なるようになるしかない。今年予定外に働きすぎたぶん激増する税金をちゃんと払えるくらいは仕事せんと・・・いや、その前に仕事を獲得しないと。
あとはそうですね、今年あらためて思ったのは、自分の特徴はやはり正論をヤバいところで躊躇わずに語るということなんだなあと。
だから正論を必要としていない場では排除されるし、正論を活かそうとしている場では役に立つ。や、本当は正論はどんな場でも必要なんですよ。正論に向き合って、じゃあどのように現実と折り合いを付けながら最適解に落ち着けていこうかということをロジカルに検討し、責任者がロジカルに判断すべきであり、そこから逃げるというのは最善の結果を追求しないということではないかな。と思いました。私の正論を煙たがって耳を塞いだプロジェクトはこれまでに幾つか(片手の数に満たぬほど)ありましたが、その後、上手くいって続いているものって一つも無いです。
どこかで誰かが、勘と度胸とどんぶり勘定よりも、データに愚直に向き合って経営する会社のが良い成績を出すよねと言ってたのですが、データがファクトとすれば、正論こそロジック。正論もまたデータ同様に大事なのですよ。
といっても、正論ってそんな怖いもんじゃないですよ。
これは何を目的としているんですか?
その目的達成に影響を与える諸要素は何ですか?
それらの要素と目的の相関の強さはどうなっていますか?
では現状のリソースを鑑みたとき、どの要素にどのリソースをどれだけ配分しますか?
その判断の理由は何ですか?
そんなような一連の問いと答えの鎖が正論になります。
プロジェクトを進めるための正論ジェネレーター。
それが私の本質だなというのが今年の学びでした。
ヤバいですね。日本にニーズあまり無いですね。やっぱ税金払えないね。あはははは。
言っておきますがでも、私は正論ゴリ押しの人じゃないんですよ。
これが正論ですよね。ではあなたはどうしますか、と問うだけです。まずは。そのうえで、私はこうしたいから継続的にマネジメントしてくれと言われれば、その希望通りに、例えば正論度100でやってくれと頼まれればその通りに。ライザップの個人コーチみたいに(知らんけど)。正論度74でと言われればその通りに。さすがに正論度が60を切ると、私より向いたマネージャーがどこかにおりますから、そちらをお探しになってはとお薦めします。
そうそう、かつて就職指導した教え子たちが、キャリアの最初の踊り場で、この先どうしましょうと相談に来ることも激増しています。
私の対応は同じです。正論を。まずは丁寧な対話を通して、一緒に構築します。その上で、じゃあどうしようかと。正論がこれだから正論の通りに生きよう、で生きていけるようなら、そもそも相談なんかしません。必要なのは正論と事情の間のバランスポイントを見つけ出すこと。こうするのが正論だよね。でも人間なかなかそうは言ってもね。じゃあまずはこれくらいから始めてみる? どうだった? なるほどそこでつまずいたか、じゃあプランBだ。ここをこう修正して・・・。
人の心は難しいし、人生はビジネスではないから、正論は参考程度にしかなりません。でもまあ、順に次のステップへと送り出せているような実感もある。実はセンシティブなコミュニケーションも出来る人なのかもしれません。私。