倉田悠子『黒猫館・続 黒猫館』と富士見ロマン文庫と日本のオタク文化における「メイド」要素の始まりと

星海社公式ツイッターの告知で紙本は完売間近とあったので、取り急ぎ倉田悠子『黒猫館・続 黒猫館』を購入。

これはリアタイで読んだかどうかはっきりしない。

真っ先にチェックしたのは同時収録の稲葉真弓「私が覆面作家だった頃」。

それによると稲葉に「くりいむレモン」ノベライズの仕事をオファーしたのは富士見ロマン文庫の女性編集者で、稲葉はこの仕事で得た小説執筆経験と印税をベースに『エンドレスワルツ』(1992)で一流作家の仲間入りを果たす。

一方、真行寺たつや(富本たつや)と倉田悠子(稲葉真弓)が完成させた「館とメイド」のシチュエーションとストーリーテリングは1990年代にエロゲー分野で大発展を遂げ、それが現在に至る日本のオタク文化の「メイド」へと繋がっているというのが久我真樹による解説。

富士見ロマン文庫は氷室冴子も愛読していたというレーベルで(こないだ知った)、案外、現代日本のオタク文化のエロ要素のルーツとして大きいのかもしれない。富本が本作のモチーフの一つにしたのも富士見ロマン文庫の『閉ざされた部屋』(原題はThe Way of a Man with a Maidで、今から120年くらい前に書かれた地下出版物の官能小説。作者は不明)だったとか。

ちなみに稲葉真弓の講演録を読むと、富士見の編集者は稲葉を高く買っていたことがわかる。

「稲葉さん、これは稲葉さんが目指すものではないけれども、あるアニメがあって、大変人気なので、ノベライズをしたいんだけれども、文章力があって、ちゃんとした文学の勉強をした人に書いてもらいたい。新人のポンと出た人には渡したくない作品なので、稲葉さん、このアニメーションをノベライズ、小説化しませんか。」

たしかに『エスカレーション』は当時も別格の筆力を感じたし(同時期に全盛期だった栗本薫や田中芳樹に伍する、そしてアニメ脚本家系の首藤剛志などより表現力で上回っている)、今読んでみても、一般文芸の大きな賞を取っているあれとかあれとか(敢えて名指ししない)よりArtistic ValueやLiterary Valueにおいて上回っていると個人的には感じる。例えば本作が全くの新作で新潮社のファンタジーノベル大賞に出てきたら、大賞まで行ってしまうのではないかとすら思える。

ジュブナイルポルノ専業作家のわかつきひかるが倉田悠子の作品の復刊プロジェクトについて「ジュブナイルポルノに文学的価値はありません」という持論を展開しているが、そもそも復刊された時点で倉田悠子の作品はジュブナイルポルノとしては読まれていないだろうし、自分がジュブナイルポルノを時代とともに消えるものとして書いているという主張は、稲葉真弓=倉田悠子が「くりいむレモン」ノベライズの幾つかの作品をそういうものとして書かなかったことの論拠としては機能しないだろう。わかつきは紙本がワンショットの印刷で重版は無いとアナウンスされたのを「売れなかったから打ち切り」と解釈したようだが、そもそも純文学の紙本は新作でも重版まで行かない方が普通のご時世である。だから星海社が純文学として倉田悠子を再刊して重版がかからなかったのは、それがまさに純文学として読まれたことの証左ではないだろうか。

なお、倉田悠子名義の「くりいむレモン」ノベライズの売り上げがトータルで100万部前後というから、今風に言えば「アニメタイアップ付きライト文芸でシリーズ累計100万部を売った」ということになり、稲葉真弓はこのジャンルの泰斗と呼ばれるにふさわしい実績を持っていたわけだ。

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