〈キャラクター文芸〉の無限性によって、未来に無限性をもたらすこと。

「天籟日記」オフィシャル二次創作で小説を書くことに初挑戦された方が、そのまま表紙デザインまで!! やってしまわれました。

すごーい。カッコいい!!!

空乃木凛『天籟の麒麟』

そして今朝起きたら、新たに「天籟日記」の二次創作が2本も公開されていました。

ささのごさんの「天蚕日記」、しのださんの「てんらい☆にっき」です。お二人ともNovelJam2019の参加者です。ありがとうございます。

この巻き込み力!

これこそ私が「天籟日記」で生み出したかったものなんです。

キャラ小説の始まりの1万字で何が出来るのか? これはNovelJamでキャラクター小説をやろうと決めた時からの課題でした。

純文学や、物語世界の拡大を想定する必要が無い不条理SFならその規模感で完成品にすることも出来るでしょうが、キャラ小説では不可能です。まず、物語世界やキャラクターの設定の描写だけで簡単に数千字を費消してしまうからです。

だから、NovelJamで作った1万字は、そこからどれだけ多くの想像を創発していく力を持つか、そこが勝負ポイントだと思っていました。

考証や設定を徹底的に固めたのもそれが理由。地盤が盤石ならば、その上には壮麗な建造物を建てることが出来るからです。表に出していないだけで、「天籟日記」の1万字が生まれる以前には7万字から8万字もの情報が生成されていました。あの1万字と足せば、ライトノベルが1冊出来上がるくらいの情報量です。

ただし、それらの情報量を全て1万字に入れることは出来ない。では、最初の1万字に優先して入れておくべき情報は何か。それを徹底的に考えて、あのクライマックスシーンと、そこに至る人々の心の動きだけに絞ったのでした。

あの一瞬と、それを発生させる地面の下に埋め込まれた膨大な情報。それがあれば、「天籟日記」の世界は広がっていくのではないかと。確信は無かったですが、願いはあった。そして、願いを事実にするために、営業も頑張りました。その結果が今、こうやって実を結び始めています。

さて、ここでブンゲイファイトクラブの決勝ジャッジの樋口恭介のこのフレーズを思い出してみましょう。

たしかに未来は確定される。
しかしながら、未来は一つではない。
〈散文〉の複数性によって、未来を複数化させること。
〈散文〉の無限性によって、未来に無限性をもたらすこと。
〈散文〉の不確定性によって、観測そのものを不確定性の中に投げ込むこと。
北野勇作は、100字の〈散文〉を、分岐する、分岐し続ける、分岐し続けることを分岐し続ける、複数的で、ゆえに不確定的な、分岐そのものとしての未来に向けて、書き続けている。

実は我々KOSMOSと、その仲間たちが、森きいこを担いでやっているのは、これと殆ど同じなのです。こう書き換えてみたらわかるはず。

「たしかに未来は確定される。
しかしながら、未来は一つではない。
〈キャラクター文芸〉の複数性によって、未来を複数化させること。
〈キャラクター文芸〉の無限性によって、未来に無限性をもたらすこと。
〈キャラクター文芸〉の不確定性によって、観測そのものを不確定性の中に投げ込むこと。
KOSMOSとその仲間たちは、1万字から始まった〈キャラクター文芸〉を、分岐する、分岐し続ける、分岐し続けることを分岐し続ける、複数的で、ゆえに不確定的な、分岐そのものとしての未来に向けて、書き/描き続けている。」

ね。そっくりでしょ。

樋口恭介や北野勇作が実際に何を考えて文章を書いているのか、それは私には知りようもないことですが、私個人の見解としては、北野勇作が100文字で作っているのは、物語の核となる瞬間の描写だと思いますし、樋口恭介が北野を勝たせるに際して用いた理屈は、物語世界が未来に向かって開放された状態で作品がミニマムなサイズのパッケージになっているから、です。

私と森きいこは1万字で北野勇作の100文字と同じようなことをやろうとしていた。

結果としてこれだけの派生コンテンツが生まれてきたわけですから、その試みは成功しつつある。

これは大事なポイントです。

「天籟日記」それだけを小説単体として読んで評価するのは、ゲームシステムとスターターデッキ1セットを見て、プレイせずに良し悪しを論じるようなものでしょう。それが悪いとは言わないが、「へえ~?」とは言うかもしれない。俺は性格が悪いからな。

1万字の源泉から生まれてきた相互作用と、一次創作・二次創作・批評、その渦こそが「天籟」の本質だから。

まだまだ育ちます。

まだまだね。

次はこれが投下されるぞ。すげーぞこれは。初稿でKOSMOSのみんなが震えた。

お楽しみに!