女神が天岩戸に隠れたこと

今を時めく超人気の論客となった国立情報学研究所の新井紀子教授が5/21にツイッター引退宣言をしてアカウントに鍵をかけられた件について、

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批判を殺到させた側が悪い」という指摘、および「新井紀子さんは女性だから男性にバッシングされた」という指摘があります。

 
例えばこうした意見。
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では、批判が一気に押し寄せることはダメなことなのでしょうか?
いや、それ以前に新井紀子先生は批判を目にされていたのでしょうか?
これについては、新井紀子先生は批判者はすぐにブロック、そればかりか批判者になりそうな人物も予防的にブロックしていたという可能性が示唆されています。
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以下、ブロック報告の事例集です。
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それでもなおリプライやコメント付きリツイートでの批判が多かったのか、あるいは裏アカウントでエゴサしておられたのかは知りようもありません。
話を戻して、論理的な批判はむしろ自分の思考をレベルアップさせる糧になるので、研究者にとっては有益なはずです。ですから、批判が殺到したことをもって無益であると考えるのはおかしいと私は思います。
また別の記事でご紹介したように、彼女のテキトーな不完全性定理の喩えに対して展開された検討は深く真摯なものでしたから、彼女が今後も教育者として活動されるのであれば、あの議論の中からも「教えること」において糧となるものは幾つも汲み取れたはずです。
彼女が女性だから男性にバッシングされたのではないかという問題提起もありますが、それは単に彼女を批判していた実名アカウントの多くが男性であっただけで、匿名アカウントはジェンダーは特定出来ませんから、少なくとも「男だけが新井紀子を批判した」とは言えません。
別の見方をすれば、批判者は科研費審査で落とすと明言している国立情報学研究所教授(しかも配偶者も同分野の有力な研究者である人物)というなかなかの権力者を実名で批判する勇気があったのは男ばかりだったのかもしれません。
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あるいは研究者の世界においてなお相対的にかなり弱い立場である女性研究者たちは、リスクが大きすぎて新井紀子を表立って批判出来なかったのかもしれません。
可能性は色々あります。それらの可能性の中から、さしたる根拠もなくミソジニーを主張するのは科学的態度ではありませんね。
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こうした意見は論外。私は自民党に友人は多数おりますが、自民党に投票したことは一度もありません(最近そのポリシーを貫くのがかなーり難しいので自民以外の政党や政治家ホント頑張って欲しいんですけど)。
 新井紀子氏がツイッターから突然撤退された件については、色々と感想が出ておりますので、目についたところをまとめておきます。
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 最後の意見については、超ベストセラーの書き手で国立情報学研究所の教授が月間数千万PVの人気サイトに糸井重里・早野龍五というビッグネームたちと登場して公開で鼎談した内容について、読者が自由に論評するのは当たり前のことであり、批判や論評されるのがイヤなら本など書くな、ほぼ日なんかに出るな、で終了です。
 そもそも新井紀子は研究者であり、若い頃には外国の有名ジャーナルにも何本も論文を掲載した素晴らしい実績があるわけですから、今さら批判されるのがイヤなどということはあり得ないのではないでしょうか。
 以上、個人的な思考のまとめとして。
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