90-00年代「サブカル」の閉鎖性と10年代以降のシェア文化の開放性

90年代サブカルの露悪趣味で思い出したんですが、増田聡(音楽学者・大阪市立大)が1999年頃に「増田プレイボーイ掲示板」というウェブ掲示板を開設していて、必ず投稿の本文中に男性器の俗称を入れなければならないというルールでした。彼が鳴門教育大学の助手になってからも続いていたと思います。

私には当時からその意図がわからなかったのですが、小山田圭吾の過去発言の話を見て、もしかするとあの時代にはあれが日本の国内ロックの文脈では「カッコいい」身振りだったのかもしれないなと思いいたりました。なお私は一度試しに「増田プレイボーイ掲示板」に書き込んだのですが、増田氏に即座に削除されました。おそらく男性器の名称を投稿中にきちんと入れていなかったのが理由と思います。以降は全く近寄っていません。

90年代の冷笑的・虚無的・露悪的な日本のサブカルチャーを継承した一部の人たちがメフィスト賞みたいな「ゼロ年代」コンテンツを作っていたような気もしますが、10年代に入るとシェアとかクラウドファンディングみたいな、もっと開かれた文化が優越してきたと記憶しています。

90年代「サブカル」は出版社やレコード会社へのコネを確保した人が圧倒的に優位に立つルール。

ゼロ年代もそれを継承して閉鎖的サークルでの馴れ合いをウェブ上で見せびらかす振る舞いが権力を担保していました(多分)。

しかしSNSの普及で、誰とでも繋がれる開放性が大衆文化でも好まれるようになった。閉鎖的サークルの馴れ合いを見せびらかす90-00年代「サブカル」から、ソーシャル・ビジネスやソーシャル・アントレプレナーのような開放性と社会問題への取り組みが称賛される時代への移行ですね。

私は90-00年代の「サブカル」は真・善・美という根本価値を嘲笑する風潮があったので嫌いでした。