「地域芸術祭・地域アート」はDIY出来る

下働きで呼んでいただいていたアーティスト・イン・レジデンスがほぼ終わりました。

まだ残務処理がありますけども。

さて、このアーティスト・イン・レジデンス。既存の国内アーティスト・イン・レジデンス関係者の手やアドバイスを一切受けずに実施しました。ではアーティスト・イン・レジデンスのノウハウが我々にあったのか?

「あった」とも言えるし、「なかった」とも言えます。

私は自分の立教大のゼミで奥多摩町や伊豆大島や多摩ニュータウンや東京ヴェルディのホームタウンでのフィールドワークと作品づくりを指導した経験がありますから、クリエイティブ領域でのプロマネはやれる自信はありました。地域との関係作りについてはそもそも自治体がプロジェクトオーナーで地域のキーマンのネットワークが最初からありましたから、そこを「主役」にして、私のような外部人材は下働きに徹することが肝要でした。

国際公募の実施、審査、招聘事務といったところはビジネスコンサルタントとしての経験から、これも何とかはなるだろうと計算はしていました。私くらい膨大なInternational Open Callの文書を呼んでいる日本人はたぶん10人いないでしょう。

で、実際何とかなりました。

プロジェクト運営は完全にビジネスデベロップメントのノウハウの応用です。JTCの中で新規事業立ち上げを成功させるにはどうすべきかという方法論は守屋実さんが完成させていますし、私自身も実戦経験は山程ありますから、それを応用するだけ。マネジメントはPMBOKの教えるところを実直に守るだけ。

さて、このようなやり方でドイツからお呼びした作家さんは実力も実績も文句なしの「本物」で、3月からはカナダでレジデンシー、その後は個展も決まっているそうです。

出来上がった作品もコンセプトから造形までどこの美術館に入っていてもおかしくないものだったし、嬉しかったのはそれを見に東京や水戸や南相馬からも足を運んでくれた人たちがいたことと、地域の皆さんもこれは素晴らしいと喜んでおられたこと。これ燃やすのもったいないよねと皆さん口々におっしゃる。それでもナディンの強い希望で一欠片も残さずに灰にしました。

人新世、そして文化と自然の関係性を表現するには燃やし切ることが必要だったんでしょう。燃えたあとの灰、そして釘をナディンは集めていました。ベルリンに持ち帰って次の作品にするんだそうです。

山形から来られた青木みのりさんは、アーティストとしての活動を本格化させたのが少し遅めだったのですが、それでもしっかりした経歴をお持ちの画家さんでした。広野では始めてのサイトスペシフィック作品づくりに挑戦して、かなりの経験値を得たようです。これからは絵だけでなくインスタレーションもやっていくそうです。

全体として、現代アートのプロジェクトだから特殊な人材、特殊なスキルが必要なわけではなく、とにかく人と人との信頼関係を工数かけて積み上げていくことが8割だということを確信しました。

キュレーションだなんだというのも実は全くこうしたプロジェクトの本質じゃないと私は思ってます今は。正しい手順で公募すれば自走で作品づくりが出来るハイレベルな作家さんをお呼びすることが出来ますから。

作家さんの方法論を地域のコンテクストにどう落とし込んでいくかは、それこそ地域の方々との関係づくり、コミュニケーションの中で決まるもので、私がキュレーターです、私がキュレーションしますなんて外部の人間がでかい面で口を挟むなんておこがましいだろ、というのが私の結論。

作家と地域の人の間の通訳が必要なときだけそっと間に入って流体継手みたいに回転数を合わせたらロックアップして退出するトルコンATみたいな存在が理想ですね。個人的には。キュレーターなんてものは偉い人になっちゃダメ。

地域アートや地域芸術祭は批評の対象にならないなんて議論も2010年代にはありましたが、そもそも中央論壇でアート批評やっている人たちってわざわざ地方の小規模現代アートイベントを見に来ないですよね? まずは見に来て批評にチャレンジしてから言えという話かと思いますし、私は美術批評家ですとか美学研究者ですとか大学教員ですといった看板を上げている人たちが実際に批評にチャレンジしてどうしても書けなかったとしたら、それは批評する側の力不足ですよ。ええ。むしろ彼・彼女らが批評の対象から故意に地方のマイナーな現代アートを外すことで、中央集権的な権力構造を維持している、したい、それだけのことではないかと思っています。