物語の舞台としての「江戸時代」と「なーロッパ」とビートルズ

物語の舞台としての「江戸時代」と「なーロッパ」を一切受け付けない自分の趣味の理由を考えてみたが
 
「メジャーだから」
 
という以外に思いつかなかった。
 
だが、それだけでは面白くないのでもう少し考えてみたところ、江戸時代となーロッパの他にもう一つ、超メジャーでなおかつ絶対に受け付けないものがあった。
 
ビートルズ。
 
だがマカートニー氏にもハリソン氏にもスター氏にもレノン氏にも何の恨みもないし、個々人は別に嫌いじゃないのだ。
 
ここに何かのヒントがあるんじゃないかと思ってもうちょっと(ほうれん草を茹でながら)考えてみた。
 
そうしたら、たぶんこれだというものが見つかった。
 
これら三つはコンテンツではなくて、コンテンツを構築するためのメガ・プラットフォームなのだ。
 
江戸時代といえばわざわざ説明しなくてもみんなわかるよね、だって江戸時代だぞ。
 
なーロッパといえば以下同文。
 
ビートルズといえば以下同文。
 
それらのメガ・プラットフォームを使う人たちの、「受け手は私が知っているものを知ってて当然、このプラットフォームのお約束を理解して当然」という構えが
 
キモチワルイ。
 
そういうことだった。