「ドラえもん」はマッチョ思想を子供たちに植え付ける有害コンテンツだ、みたいな極端なことを言う人がいるらしいので、一般論として「ドラえもん」と男女共同参画社会との距離感について考えておこう。
まず押さえておきたいのは、物語空間がどのように表象されているかというところ。リアリティの問題だ。
あまり気づく人いないかもしれないけど、今放映されているドラえもんでも風俗描写は25年くらい前なんだよね。携帯電話やパソコンやインターネットの無い世界。
今の子供たちがそれをどう受容しているのかは調べてみないとわからないけど、他のコロコロコミック掲載作品ほど現代的な描写の物語世界でないのは確か。ジャイアンの暴力、先生の「廊下に立っとれ」なんて今の基準なら明らかにNGなんだけど、全体としてかなり非現実的なローファンタジー作品になっている「ドラえもん」で、そこまで目くじら立ててもなあ、問題あると思うなら見せなきゃ良いのではとしか思わない。私はね。
それに、ドラえもんのメインターゲット層は小学生なんだから、親が見せないでおこうと思えば見せないで済むコンテンツだし。
暴力描写で言えば「鬼滅の刃」や「チェンソーマン」なんて、こんなもの小学生に見せて良いのかって私は思っちゃう。
でも結局は親の判断です。人権教育の責任をエンタメの漫画やアニメに転嫁してる時点で詭弁。
むしろ現実の日本の公立中学校の人権抑圧状況の方がドラえもんの1万倍くらい深刻だと思う。理不尽は飲み込むものだってのを繰り返し教えるのが日本の公立中学校なんだから。男女別デザインの「制服」を着せたり男女別名簿を作ったり。その先に総合職と一般職とか、マミートラックとか、企業內部に温存されている男尊女卑文化が接続されて女性抑圧が下の世代に継承される。
ドラえもんとどっちがアンチ男女共同参画の温床になっているのか。そういう広い視野、冷静な思考が一番大事だ。
フォロワーの感情を煽るような表現をしている人には気をつけた方が良い。
私は本当に男女共同参画が広まるためには、一人ひとりの個人が
「これは女性差別になっていないか? 大丈夫か?」
とその都度判断しようとする姿勢と、それが出来るものさしを持つしかないと考えている。
だから
「ドラえもんは女性差別思想を子供たちに植え付けるコンテンツだ」
などという極端な思考を大声で喧伝する人や本が、日本の男女共同参画社会を推進する上で最も有害なコンテンツだと思っている。
何故ならば、冷静な思考、広い視野を持たないままエコーチェンバーの中でそういうコンテンツに触れていると、個々人が自分で都度判断しなくなるおそれが無視できないほどにはあるから。
私が一番大事にしているのは、自分の頭で考える習慣を身に着けさせること。声がでかい人、売れている本、偉そうな人の言うことだからと鵜呑みにしないこと。
もちろん、私からみたらアンチ男女共同参画社会コンテンツでも出版の自由はある。読みたければ読めば良い。ただし、私はそれにはカネを出さない。