郊外という問題

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 立教大で担当しているゼミは前々回、前回、そして次回と都市論を扱っています。2回目の講義のテキストは若林幹夫さんの『郊外の社会学』。郊外とは何かを丁寧に論じた、なかなかの好著です。

この本で再三登場するのが、八王子の南大沢にある「ベルコリーヌ南大沢」という旧公団住宅。1990年頃に完成した集合住宅で、何でも南フランスのプロヴァンス地方をイメージしてデザインされたとか(写真)。最近、大規模な手抜き工事が発覚して全面立て替えやら補修やらで大騒ぎになったことを憶えておられる方も居るかもしれませんね。

うちから南大沢はさほど遠く無いので、私は講義の前に自転車で現地を見にも行きました。その感想ですが・・・・「結構良い感じの場所じゃないの、これ」。特に良いなと思ったのは、団地から公立小中への道が完全に歩車分離されていること。うちの近所だと信号の無い横断歩道を渡らないと小学校にも中学校にも行けませんからね。しかも日本人の運転、横断歩道を渡ろうとしている人が居ても基本的に一時停止しませんから(教習所で習ったはずなのに)。

デザインも、ま、これはこれでしょうがないというかな。集合住宅というコンセプトそのものが日本の伝統には乏しかったわけで、近所にある「ラ・フェット多摩南大沢」も含めた南欧テイストは相当気恥ずかしいものがありますけれども、1960年代70年代の白羊羹団地の殺風景に較べたら、まあマシかもしれない。

ただですね。若林さんの本でも論じられていたんですが、団地が建てられている土地との関係性が希薄過ぎる。プロヴァンス風(?)の周囲には紛う方無き武蔵野の残欠の雑木林が生い茂っていまして、このお互いのよそよそしさは何だろうなと。

もう少し周囲を走り回ってみますと、「ベルコリーヌ南大沢」や「ラ・フェット多摩南大沢」が立てられている丘の上り口の辺りに、神社がありました。八幡神社と稲荷神社。それなりに古い神社のようです。おそらく、ここら一帯が「大沢村」「鑓水村」だった頃の鎮守だったんでしょうね。まあ、八幡神社はもともと大分の宇佐の神さまだし、稲荷神は京都の伏見が本家で、飛鳥・奈良時代に活躍した渡来人系豪族の秦氏の祀った神さまです。だから、こちらの神社も実は他所の土地のものを脈絡無く移植してあるということになるのですが(笑)。

でも、それにしてもベルコリーヌ南大沢やラ・フェット多摩南大沢や首都大学東京(恥)なんかがでかい顔をして居座っている中で、いかにも居場所無さげな八幡神社の佇まいは、気の毒です。

若林さんは郊外を「家賃と交通の便と懐具合だけで選ばれ、消費される空間」であるとして、そういう場所で、土地の伝統や記憶を継承することの不可能性を指摘しています。実際、私の住んで居る辺りでも「市民祭り」や「コミュニティ祭り」は開催されているのですが、神社なりお寺なりを通して土地を祀るという形式にはなっていない。主催する団体の立場もあって、そういうことをしづらいのだろうとは思いますが、郊外という、言わば消費財として建設された空間が、人の住む土地として「地に足の着いた」ものになる為には、どうにかしてこの部分を接続しなければならないだろうなあ、と思った一日でした。

ちなみにうちの息子は生まれる前と生まれた後に、ちゃんと近所の神社を全部回って挨拶を済ませていますよ。