させていただきますの怪と司馬遼太郎

日本のビジネス語で、やたら「~させていただきます」「~させていただいております」という表現があります。

私もあまり使いませんし、松永先生もこれ嫌がっておられましたけども、司馬遼太郎さんが既に1991年に、この言葉遣いについて論じておられました。

司馬さんの推測では、これはもともとは浄土真宗の門徒の言葉遣いで、仏恩により、つまり阿弥陀如来のおかげで~~することが出来ているという表現が最初にあり、真宗門徒の多かった近江の商人が大阪に出て行くプロセスで門徒以外にも普及していったのではないかと。

真偽は定かではないですが、そう言われるとなんとなく許せてしまいますね。

そうそう、この話を読んで私、初めて浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を自然言語で読んでみたんですよ。ただ、性悪の哲学研究者の悪癖で、最初に読んだのが英訳。ドイツ語やフランス語で書かれた哲学書は邦訳より英訳のが読みやすいという経験則がありましたもので。

そしたらたしかに英訳仏典読みやすかったんですが、固有名詞がわからない。仏様のお名前も人名も私は漢字で憶えているのに、英訳仏典はサンスクリットのローマ字音読みですから。阿弥陀がAmitabhaになる。

次に読んだのが漢文の読み下し文で、これは格調高いけど「五重塔」なみに読みづらかった。でもウェブを探せば現代日本語訳もあるものでして、それを読んでみたら何のことはない、釈尊が弟子たちに語って聞かせたというファンタジーの記録なんです。極楽浄土の様子の描写なんかやたら詳しくて、釈尊、まるで見てきたようなウ・・・・申し訳ございません。ううう。法然上人も申し訳ございません。一枚起請文暗記したのに、智者のふるまいに及んでついに一文不知の愚鈍の身に墜ちてしまいました。

いやそれにしても、室町時代みたいな識字率の低い時代ならともかく、現代であればせっかくの仏典ファンタジーをもっと平易な言葉で発信して信徒を増やすことも考えて良いのではないでしょうか。日本仏教。いっそボーイズラ・・・申し訳ございません。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。