小林よしのり氏が例によっていつもの立場からお馴染みのムックを出されました。今回はアイヌがテーマ。まあ、それが小林さんのお仕事ですから、遅かれ早かれ出すんだろうとは思っていましたが。
中身は、そうですねえ、やはり最初に結論を決めておいて、そこに向かって都合の良い材料を集めて論を組み立てるというのは、読み手からすると知的興奮よりは徒労感を感じるものを作りがちだよなと思いました。
冒頭の漫画がまた通読するのにかなりの忍耐力を要する代物でしたが、簡単に問題点をまとめておきます。
・何でもかんでも気にくわないものは左翼というレッテルを貼るのはいかがなものか? 単純に読んでいてつまらない。
・蠣崎氏を「和人化した蝦夷」と位置づけ、蠣崎氏によるアイヌモシリ南部侵略を「和人化した蝦夷と和人化していない蝦夷の戦いであって、日本人がアイヌモシリを侵略したわけではない」というのは、あまりにも無茶。卒論でも通らないレベルの論理でしょう。
・アイヌの団体は北海道ウタリ協会だけではないのに、何故そこのみをアイヌとの接点としようとしたのか? 関東にもアイヌ団体は三つある。
・実際にアイヌと会って話を聞かずに書いているのは手抜きではなかろうか。
・アイヌの権利回復運動に関わる人々を戯画化して描き、読み手にネガティブなメタメッセージを与えているのは男らしくない。
まあ他にも色々ありますが、ざっと思いついた点だけでもこんな感じ。特に蠣崎氏のところは凄かったっすねえ。蝦夷(エミシ)概念の取り扱いの斬新さは感動的でさえあった。
そもそも古代の蝦夷というのは大和朝廷から見た「北の方に居る異民族かつ大和朝廷に帰順していない連中」をひとまとめにした言葉であって、ある特定のエスニックグループの呼称ではありやせん。だから大和朝廷に帰順した古代蝦夷は「俘囚」(ふしゅう)という別の呼ばれ方をしたわけです。わかります? 「和人化した蝦夷」というのは俘囚といって、既に蝦夷ではないんです。大和朝廷は帰順した蝦夷=俘囚を「王化」、つまり自分の国の国民としてフェアに扱うという方針を持っていました(徹底されたかどうかは別)。これはそうすることで天皇の徳の高さを示すことになるという思想があったからです。
それがまあ本州以南の日本史でいう平安時代のお話。概ね11世紀くらいまでですね。現在の東北地方で古代蝦夷がほぼ日本国に吸収されおわったのがこの頃。俘囚系の血を引く豪族である安部氏、清原氏と河内源氏が戦った「前九年・後三年の役」があったのが1051年から1087年。この戦いの結果、藤原摂関家の末流と俘囚系豪族の血が何となく混じった奥州藤原氏が生まれ、その奥州藤原氏がやはり河内源氏の源頼朝に滅ぼされていくという流れの中で、古代蝦夷のうち本州島に居た連中は和人化していったわけです。つまりエミシではなくなった。
一方、蠣崎氏というのは元は若狭にいた武田氏の末流ですからね。少なくともボスが古代蝦夷とカンケーナイのははっきりしています。下北半島に蠣崎氏がやってきた後には、もちろんかつて蝦夷であった和人も家来になったでしょうが、残念。蝦夷概念の定義からして和人化した蝦夷というのは和人に過ぎないのであって、和人であると同時に蝦夷であることは不可能っす。
この辺はですねえ、実は「先住民族サミット」の「日本政府への提言」の中にも小林氏と似たり寄ったりの論法を使った部分がありまして、そこについては私は同意出来ないと結城さんにもはっきり伝えてあります。具体的にはアイヌ民族を本州島にも住んでいた先住民族としている部分で、確かに集落単位では近世においても北東北にアイヌ語話者の集落があったという史料もありますし、そういうこともあっただろうとは思いますけれども、少なくともアイヌを本州島の先住民族とするのは無理だと考えています。これについて、北海道大の小野有五さんは古代蝦夷も擦紋人も民族的には現代のアイヌと連続しているから、アイヌは東北地方の古代蝦夷の末裔と言いうると反論されたのですが、東北地方の古代蝦夷はやはり和人に同化していったと見る意見が学界では主流ですし、私も小野さんの主張には同意出来ません。
さて、私が小林氏や「先住民族サミット」提言文を見ていて感じるのは、議論による合意形成努力の不在です。小林氏も「先住民族サミット」提言文も、自分たちに都合の良い主張をポンと言いっぱなしにしているのではないか? どちらもそれなりに時間をかけて作ったのでしょうし、それぞれ実存をかけて主張しているのだと思いますが、私から見ると小林氏も「先住民族サミット」提言文も、到底、日本国民の間に広く受け容れられるものではありません。必要なのは、それぞれの最初の主張から出発して、妥協点を探り、あるいは双方が納得出来る新しい立場を生み出すことでしょう。
それをしなければ、アイヌ問題もまたいつまで経っても話が先に進まない、アンタッチャブルな泥仕合の場へと墜ちていってしまうんでないか。そう感じますね。