林玲子『江戸店の明け暮れ』で江戸時代のビジネスを知る

難しい本を読んだ報告

林玲子『江戸店の明け暮れ』吉川弘文館2003年

著者は戦前生まれで、35歳の時に東大で経済学の博士号を取った方です。専門は近世日本の流通業。

この本は東急百貨店の前身である巨大呉服商、白木屋の内部資料から、江戸時代の白木屋江戸店のビジネスを概観したものです。非常に面白いです。

以下、本書にて紹介された白木屋江戸店のシステム。

【江戸店の位置づけ】

江戸時代の繊維産業の中心は京だったので、本店は京に置かれていました。江戸期の大店の本店のおよそ7割が京、近江、伊勢にあったとのこと。

行政にはビジネスオーナー(本店の主人)の他、支店長として店預人を届け出る決まり。

【採用・人事】

白木屋は近江商人なので店員は近畿地方で見どころのあるローティーンの少年をスカウトし、江戸店に送り込むシステムでした。20歳前後で一度故郷に里帰りし、本店で主人の面接を受け、その後で手代として正式なヒラ社員になります。

その先は才覚により役職付きに出世することもあれば、ヒラのまま終わることもあります。支店幹部にまでたどり着くのは一握りで、それ以外はどこかで暇乞いをして許されて退社する(「首尾能御暇」)か、寮生活のまま病死するか、素行不良で解雇されるか、逃亡するか。

円満退社出来るのは半分くらいだったそうです。また役職付きになると1年単位の契約更新となります。

最高幹部である店預人に昇進するのは40歳過ぎで、そこで数年勤めたら退職金を貰って引退する、あるいは暖簾分けしてもらって新たにフランチャイジー起業するということになります。

【仕入れ】

白木屋江戸店から関東一円の繊維生産地(藤岡とか真岡とか)にバイヤー(買役)が派遣され、絹や木綿の原料を買い付けていました。バイヤーはエリアごとに専任で、現地には提携業者(絹宿)があり、買い付けをサポートしていました。

【加工】

買い付けられた原料は一旦、京の本店に送られて、そこで反物に仕上げられました。この加工技術は高度なもので、関東では不可能でした。

【物流】

法人契約している物流業者(飛脚)があり、原料、製品、ビジネスレターなど全て運んでいました。

【販売】

本店から江戸店に納品された商品は店頭で小売りした他、卸売も行いました。関東一円にはそれぞれ担当地域の決まったルートセールスが居て、各地の取引先を巡回していました。

【与信】

取引先の与信については物凄く細かい規則がありました。武家への与信は低めにしろとか、代替わりしたら与信額を見直せとか、新規取引の際は相手の生活態度をよく調べろとか。今と同じやん。

【キャッシュフロー管理】

売掛金の管理や回収にもかなりの規則や共有されたノウハウがありました。売掛金はあまり増やすな、つまりキャッシュアウトを増やしすぎるなという戒めも。

【使い込み】

店員による使い込みも定期的に発生しており、やられる時は数百両(数千万円)も使い込まれました。使い込みが発覚すると当然解雇ですが、店員同行で実家まで連行した上で、使い込み分の取り立てを開始しました。

【福利厚生】

退職するまでは寮生活で結婚も出来ないという、今なら相当なブラック企業ですが、新入社員には読み書きそろばんを教え、また病気の際には現在の貨幣価値で数十万円もの医療費を職位関係無く支出して治療を受けさせました。

退職金代わりになるのが、「目出度御暇」の際の餞別で、最高幹部クラスでおよそ40万円ほどの価値の商品がもらえたそうです。このクラスになると暖簾分けで白木屋の屋号およびビジネスパートナー各社との取引が手に入るわけで、そちらの方が大きかったかもしれません。

江戸店内には社員寮や社員食堂、大浴場もあったので、それらを管理するための台所奉公人という、福利厚生専門スタッフも雇われていました。

【パートナー企業群】

買い付けや物流以外にも、江戸店には家守衆、出入衆と呼ばれる外注スタッフが多数おりました。

家守衆は白木屋が所有する不動産の管理を担当するスタッフ。出入衆は建物のメンテや防災をするスタッフ(鳶、大工など)です。

【感想】

江戸期の商家のマネジメントシステムは相当に高度なもので、バイヤーやマネージャー、シニアマネージャークラスともなると、今の東急百貨店の部長や役員と入れ替えてもちゃんと仕事出来るような人たちなんだろうなと思います。

明治維新後の日本の産業化については武家の教育レベルの高さや寺子屋による庶民教育の存在を原動力とする意見がありますが、商家が持っていたビジネスのノウハウや人材もまた大きかったでしょう。

実際、越後屋は三井となって今もバリバリやってますからね。