先住民族サミット「日本政府への提言」詳細検討

 さて、今度は「日本政府への提言」の個々の文言を詳しく見つつ、私の立場からコメントをしていきたいと思います。

 中には当惑される方も居られるでしょうから、先に私の立場について説明しておきましょうか。私は先住民族サミットの翻訳ボランティアとして3月からずっと色々な文書の翻訳をやってきましたし、事務局長の結城さんとはお互いに知り合いで、一定の信頼関係も築いています。先住民族サミットの開催趣旨にももちろん賛同しています。

 ですけれども、私はアイヌではないので、この先住民族サミットでアイヌの方々が行われた提言の内容にはノータッチですし、ボランティアをしていたからといって、無条件で先住民族サミットによる提言に全面賛同するわけでもありません。それはそれ、これはこれ。私が先住民族サミットを応援したのは、今はとにかく議論を始めなければいけない時期だし、まずはアイヌからの意見が示される必要があるという認識があったからです。

 話を戻しましょう。

 まず気になったのは第2段落です。この段落では、提言は「日本政府は(中略)過去のアイヌ政策を反省し、明確な言葉で公の場で謝罪することから始めなければいけない」と指摘しています。それは私としても特に反対するものではないのですが、日本政府が謝罪すべき「過去のアイヌ政策」とは、具体的にはどういったものを指すのかがはっきりしません。

 例えば、アイヌモシリ=北海道島におけるアイヌと和人の対立は江戸時代に遡りますが、先住民族サミットは江戸幕府や松前藩の蝦夷地政策を「日本政府の過去のアイヌ政策」に含めて考えているのか。あるいは明治政府による北海道島の領有とアイヌの一方的な日本国民化以降に限っているのか。仮に明治政府以降のアイヌ政策に限るとして、アイヌ自身は、それらの政策のどの部分が誤りであったと評価しているのか、それは何故なのか。

 そういったことを厳密に、具体的に示していただけないと、なかなか議論が深まらないと思います。またこの段落では、先住民族の権利に関する国連宣言の内容の実施についても言及がありますが、私には「日本政府は国連宣言の内容を日本国内で実施しなければならないが、その為にはまず公的な謝罪が必要だ」と言っているように読めます。とすると、先住民族サミットとしては、公的な謝罪が行われないままにアイヌの各種の権利が回復される事態は受け入れられないとの立場なのでしょうか。

 私個人は、あまり「謝罪」に拘泥しすぎると話がこじれる元だと思うので、ここは気になるところです。それで、これはあくまでも私個人の提案なのですが、首相談話のような形での「謝罪」を要求するより、むしろアイヌ代表と首相による和解の儀式のような形にしてはどうでしょうか。首相は明治以降の公的なアイヌ文化抑圧について謝罪する。アイヌ代表は謝罪を受け入れるとともに、日本国家の発展と繁栄にアイヌもまた協力していくことを約束する。そして和解の儀式以降は、過去の遺恨を蒸し返さない。

 ポイントは、アイヌ側も積極的に融和と協力の姿勢を示すというところです。というのは、近隣諸国と日本の関係を観察していても、どうもこの「謝罪要求」というのが、コミュニケーションを妨害する方向に作用している気がしてならないんですよ。そりゃあ「謝罪要求」をして、相手が頭を下げたならば、下げさせた方は気持ちいいかもしれません。でも、それが果たして建設的なコミュニケーションとして成立しているのかというと、そうじゃないんじゃないかと。「謝罪要求」も「謝罪」も、実際のところ相手の理解には繋がらない、繋がっていないでしょう。相互理解や協調の姿勢が涵養されなければ、またほとぼりが冷めた頃に遺恨が再燃するだけです。実に不毛です。

 過去の清算と未来に向けての協力の約束を同時に行うこと。これが重要なのではないかと思います。

 次は第3段落。ここでは来月に設置される政府の有識者懇談会についての意見が述べられています。ここで先住民族サミットは委員8人中、アイヌが1人しか選ばれていないことを問題視しており、その根拠として国連宣言を示しています。おそらく先住民族サミットが言っているのは、国連宣言の18条と19条のことだと思います。

 国連宣言の英文はこちら。
http://www.un.org/esa/socdev/unpfii/en/drip.html

 国連が認めた正式な訳ではないのですが、日弁連版の和訳はこちら。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/kokusai/humanrights_library/un/data/UND_RIP.pdf

 さて、国連宣言の文言と照らし合わせながら考えた場合、アイヌの代表が政府によって一方的に北海道ウタリ協会理事長とされたことは(もちろん事前に北海道ウタリ協会に打診はあったでしょうけれども)、確かに18条の内容に反していると思います。ただ、残念なことに今に至るまで、日本全国のアイヌを横断する全国組織って存在していないんですよね。実は7月6日に、こちらは北海道ウタリ協会主催で「アイヌ民族サミット」が開催されて、全国組織の必要性が確認されたばかりなんです。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20080707-OYT8T00002.htm

 ですから、政府が国内最大のアイヌ組織である北海道ウタリ協会の理事長を懇談会委員に指名したことも、やむを得ない側面はあったと思います。

 懇談会の委員の半数以上をアイヌに、という提言については、少なくとも国連宣言の文言に明確にそういった記述は無いですね。

 私個人は、以前にも書いたように、有識者懇談会の人選は80点という評価です。もしもアイヌのコミュニティに(学術論文や学術書を多数発表しているような)アイヌ史研究者や憲法学者、国際法研究者などが居れば委員に選ばれたでしょうし、そうなれば委員中にしめるアイヌの比率も当然高くなったでしょう。ここは、身も蓋も無い言い方で恐縮ですが、現在のアイヌ・コミュニティの弱点ですね。博士号を持っているレベルの知識人の絶対数が足りていない。権利回復運動を進めていく上で、これは相当に痛いです。各種の専門知識の面で、外部と対等に渡り合える人材が足りない。たしかにアン=エリスや小野有五さんや私は博士号を持っていますし、ジェフも博士課程の大学院生ですが、我々はあくまでもコミュニティ外でのサポーターであって当事者じゃないですからね。

 第4段落は特に問題無いと思います。言いたいことも解るし、その主張は国連宣言にも裏付けられています。第5段落の問題点は既に別の記事で指摘しましたね。

 第6段落。ここでは二つほど疑問点があります。まず、アイヌの居住地域に本州島を含めている点は、議論になると思います。たしかに本州島の北部には古代から蝦夷(えみし)と呼ばれた人々が居住していましたけれども、この集団は12世紀末にはほぼ日本人に従えられて、あるいは進んで同化して、集団としての独立性を失ってしまっているのですね。

 日本史の時間に皆さんも習ったはずですが、東北地方では11世紀に前九年・後三年の役という長い戦乱が発生します。この戦役は、簡単に言えば東北地方の大豪族である安部氏や奥州清原氏と、中央から来た河内源氏の源頼義・義家父子の戦いだったのですが、安部氏や奥州清原氏を、半ば大和朝廷に帰属した(官位などを得て、朝廷の仕事を請け負った)蝦夷(俘囚と呼ばれます)と見る説は根強いものがあります。つまり、まだ東北地方には半独立の大勢力が存在していたのです。

 ですけれども、この戦いは最終的に安部氏・奥州清原氏が滅亡して、その勢力基盤を受け継いだ奥州藤原氏の成立という結果になります。奥州藤原氏の開祖である藤原清衡の母は安部貞任の娘ですから、血統的にはなお俘囚系の血が続いていたとも言えますが、この奥州藤原氏も1189年には源義家の子孫の頼朝に攻められて滅亡。かくて蝦夷・俘囚系の政治勢力は本州島から消滅してしまいました。

 一方、今日に繋がるアイヌ文化の成立は13世紀です。ですから、単純に考えれば本州島にアイヌが先住民として存在したことは無いとなります。もちろん、蝦夷とアイヌは文化的にはかなり近いのですが、それは両者ともに擦文文化を継承していたからであって、本州島の蝦夷とアイヌを同じ民族集団と見ることは、現状では難しいのではないかと思います。

 もう一つは「北方領土」返還交渉にアイヌを主権者として加えるべき、という部分。主権者という語は、英文の方ではsovereign peopleとなっています。普通に考えると、アイヌモシリと北方領土の主権者はアイヌである、という立場に読めますね。もちろん300年前ならそれは事実としても筋論としても有効だったと思いますよ。ですが、日本政府は国連宣言に賛成票を投じる際に、この宣言における民族自決権は、当該民族が現時点で居住する国家の領土的主権に優先しないことを確認しています。つまり、少なくとも日本政府は、現時点でアイヌをアイヌモシリの領土的主権を持つ集団とは認めていないし、今後も認めるつもりは毛頭無いのです。現実問題として、北海道島がアイヌ国家として独立することは不可能でしょうしね。

 これは私の意見ですが、今アイヌが領土的主権を主張することは、日本政府との交渉進展の阻害要因にしかならないと思います。私が仮にアイヌであったとしたら、この部分は「当事者として」にした方が良いんじゃないかという意見を出したはずです。「主権者」はちょっと刺激が強すぎる。

 最終段落については、「在日韓国人」ではなく「在日韓国・朝鮮人」とした方が良かったかなと。より厳密に言うならば「韓国・朝鮮系日本人および特別永住者」ですね。特別永住者の方々に関しては、もちろん日本社会を共に創っていくべき集団ではありますけれども、出来れば日本国家の一員となられることをもいずれご決断いただいて、日本国籍を取っていただきたいなとは思っています。

 以上、長くなりましたが、ご参考まで。