列島創世記

 小学館が刊行を開始した「全集・日本の歴史」シリーズの第1巻、松木武彦『旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記』が面白いです。

 普通、この手の本は監修者が知り合いの研究者仲間を10人くらい集めて、章単位で発注を出しますが(それぞれの得意分野を発注するので、最新の研究動向をきめ細かく追ってもらうことが出来るし、研究業績もみんなで山分けすることが出来る)、このシリーズは各巻を一人の著者が全て書くというスタイルが特徴です。その分、書き手の個性が強く出ているので、このスタイルについては賛否両論あるようですが。

 さて、著者の松木さんは「認知考古学」なる手法を掲げておられます。これはどういった手法かというと、認知科学や心の科学の方法論を大きく取り入れた考古学、ということらしいです。

 なお、認知科学というのは、私たちホモ・サピエンスの神経組織が周囲のモノをどのように認知しているのかを研究する学問です。例えば私の手元にマグカップがあるとしましょう。そして少し離れたテーブルの上にも別のマグカップが置いてあるとする。私の神経組織はこの二つの物体をいずれも、同じ機能を持つ物体として認知し、そのように扱うわけですが、何故デザインもサイズも見かけ上の大きさも異なるこの二つが、私の神経組織上で同じカテゴリーに入れられるのか。

 おわかりのように、私がアタマでじっくり検討して「あれとこれは同じカテゴリーだから、以後同じモノとして扱おう」と決定しなくとも、神経組織が勝手にカテゴリー化をしてくれますね。その時、神経組織は何をやっているのか? マグカップAとマグカップBから光学的に得られる情報のうち、どれとどれを抜き出し、そのどこに共通性を見いだしているのか? 

 そういったことを扱うのが認知科学。一方、心の科学というのは、私たちの神経組織の活動のうち、意識と呼ばれるものの特性や定義、あるいは意識がいかにして進化してきたかを考える学問です。

 私も博士論文では認知科学や心の科学をかなり取り入れて書いたので、日本列島の考古学にこれらの学問が取り入れられるとどうなるのか、というのは大いに興味を持ちました。参考文献で挙げられていたホリオークとサガードの本など、私も以前に論文で使ったことがありますしね。

 それで、実際、松木さんはどういった議論を展開したのか?
 特に面白かったのは、古墳についての論じ方です。築造された当時、古墳なるものがホモ・サピエンスの神経組織にどのように知覚されたのかを考える。その大きさや空間構成が、ホモ・サピエンスにとってどのように感じられたのか? そういったモニュメント(美的モニュメントという言葉が使われていますが)を必要とした社会とは、いかなるものだったのか?

 そういった切り口に、日本列島各地で出る遺構や遺物の地域的傾向を組み合わせることで、松木さんは「縄文文化や弥生文化は日本列島全域をのっぺりと覆っていたのではなく、地域によって同じ縄文や弥生の文化でも、大きくその内容は異なった」との結論を導き出します。具体的に言えば、3世紀頃に奈良盆地に巨大古墳が出現するまでは、日本列島には幾つかの地域ごとに相異なる文化圏があったと。そして、大陸の鉄器を効率よく獲得する為に関東以西の列島人たちが自分たちの大代表を立てたのが、古墳時代のヤマトの大王たちだったのではないかと。

 その際、文字を持たなかった列島人たちは、その大王の権威をモノで表象する必要に迫られ、世界的に見ても異常に巨大な墳墓を濫造したのであろうと。しかし文字を手に入れた列島人たちは、巨大モニュメントを用いなくても大王の権威を保全することが出来るようになったので、巨大古墳は必要性を失い、廃れていったのだと松木さんは言います。

 文字と巨大墳墓の関係については、エジプト古王国のクフ王も秦の始皇帝も文字社会の統治者であるにも関わらず巨大墳墓を残しているので、もう少し精密な議論が必要かなとは思いますが、それはともかくとして、縄文とか弥生といった時代の日本列島内部に、明確な地域文化圏が幾つも成立していたことや、ある時期に一斉に次の文化期に入ったのではなく、同じ時期に弥生文化の集落と縄文文化の集落が隣接して共存するような状況があったこと。地域によっても新しい文化の受容時期に差があったこと、あるいは弥生文化を受容してからも、縄文文化(的なもの)を復活させた人々が居たことなど、ともすると理念型のみで語られがちな先史時代の日本列島人たちの生き様が、この本ではより生身の人間に近い形で感じられます。

 ここ数年、縄文時代の日本列島人たちがロマンチックな偶像化の対象となることも多いわけですが、ファンタジーを紡ぐ前にまずきちんとした学問の成果を学ぶべきという立場の私としては、この本を是非とも多くの方にお読みいただきたいと考えます。文章もわかりやすいですし、一読して損は無いですよ。