私の日本地図10 武蔵野・青梅

 漸く左手もほぼ治りました。長かった・・・・。自転車のベストシーズンを1回分棒に振ってしまいました。ああ、悔しい。そんな状態で読んで、胸が締め付けられるような気分を味わう羽目になったのが、この本です。

宮本常一著作集別集『私の日本地図10 武蔵野・青梅』(未来社、2008年)

 周防大島が生んだ偉大な文化人類学者、宮本常一は後半生の多くを武蔵野台地で過ごしました。彼が関東に移り住んだのが1939年で、1961年に府中市に家を買ってそちらに移り住み、1981年に亡くなるまでをそこで過ごしたのです。最初に住んでいたのは三田の渋沢敬三邸でしたが、宮本が東京に出てきたのは、渋沢敬三が保谷に建てた民族博物館のコレクションの整理がきっかけでしたから、保谷に泊まり込みで作業をすることも多かったそうで、その時に武蔵野台地の西北部(田無や練馬、新座、石神井など)を中心に歩き回ったといいます。

 この本に記録されているのは宮本が見た武蔵野台地の風土と、そこに住む人々の暮らし、そしてその破壊です。1960年代というのは東京オリンピックおよびそれをきっかけとした、大規模な風景破壊の時代でした。宮本の目の前で武蔵野の風景は次々にブルドーザーとパワーショベルに切り裂かれ、あるいは放置されて消えていきました(里山などは放置すればあっという間に藪になるものです)。

 本書の最後は次のように締めくくられています。

「そして武蔵野が武蔵野でなくなる日が近づきつつある。ただ、だだっ広い、住宅と工場が混在する郊外都市にかわろうとしている。そしてとどまるところを知らない。府中市の航空写真を見ると、もう樹木のあるところは何程も無くなっている。人の住むことをとどめるのではない。もう少しよい住み方があると思う。それを探し、見つける努力が今こそもっと必要なのではないかと思う。」

 宮本がこう書いてから40年。多分、彼の予言は当たったのだろうと思います。私が武蔵野にやってきた1990年と較べても、武蔵野の風景は更に木々が少なくなっていますし、新建材を使った建て売り住宅は増えました。私が好きだった場所が次々に三井不動産によって建て売り住宅街に変えられて来ました。

 ですが、私はそのような喪失感だけ感じてこの本を読んだわけではありません。もっと複雑で込み入った思いが私の中に渦巻いていたのです。それらを注意深く分析してみると、次のようになります。

 まず指摘したいのは、いくら三井不動産が武蔵野を破壊して売り飛ばそうとも、彼らに出来るのは武蔵野の上っ面の皮一枚をセメントのベタ基礎で塗り固める程度のことだという事実です。実際、本書の中に登場する数多くの地名を目にする度に、私の体は明らかにその土地の地形に沿って反応していたのです。例えば箱根ヶ崎という土地があります。現在は横田基地の北端辺りで、青梅街道と日光脇往還が交わる場所です。地形で言えば多摩川から武蔵野台地に上がってもう少し行くと狭山丘陵という辺りです。

 そして、不思議なことに、福生や狭山湖、武蔵村山、昭島あたりを走り回っていると、何故か自転車は箱根ヶ崎に吸い寄せられるんです。「ああ、またここに出たのか」ということが何度もある。そういう場所なんです。あそこは。武蔵野台地の西側の空間のヘソのような土地になっている。

 さらに付け加えて言うならば、私の体には、自転車で武蔵野台地を走るという行為を通して、そのような空間構造が転写されている。確かに玉川上水開削から数百年かけて生み出された武蔵野の風景の殆どは、昭和以降に破壊されましたが、武蔵野台地の地質学的な構造はいかな三井不動産であろうともどうすることも出来ないという事実が、箱根ヶ崎に何度も吸い寄せられてしまった自分自身の経験から、深く了解出来るのです。

 武蔵野は強い。人間のやる「開発」など、所詮はコスメティックですよ。私は原発事故から20年後のチェルノブイリ周辺の映像を見たことがありますが、人間が立ち去って20年経ったチェルノブイリは、何と野生動物の楽園と化しているのです。皆さん、放射能汚染というものが一旦発生したら未来永劫続くような印象を持っておられるようですが、だったら広島や長崎は今でも死の街のはずでしょう。違うんです。放射能というのは放射線を出す特性のことですが、そもそも放射線というものは放射性物質の原子構造が崩壊することで生み出されているんですから、放射線は出せば出しただけ放射性物質は放射能を失う。私自身、チェルノブイリの今の映像を見るまで忘れていたことですけどね。

 実際、都市というものは人間が住んでメンテナンスを続けているからこそ都市であり続けられるものでして、人間が消えればどんな都市でもやがて自然に還っていきます。その速度も驚くほど速い。人間が完全に消えて10年も経てば都市は相当に自然化します。樹木が生い茂り、舗装はあちこちでひび割れ、野生動物が跋扈する。100年も放置したら六本木ヒルズだってウォーターフロントの豪華超高層マンション群だって、アンコールワットの二番煎じみたいな代物になりますわね。

 そこまで考えたとき、私は思ったんです。武蔵野だって、人間が消えればあっという間に、かつての武蔵野に戻っていくんだろうと。何しろ、武蔵野に文明というものが最初に入った時に作られた巨大伽藍たる武蔵国分寺は、今や草木に覆われた「最もオリジナルの武蔵野に近い」空間になっちゃってるんですからね。東大寺の次に大きかったと言われる(最近、新薬師寺が東大寺級の超巨大伽藍を持っていたことが明らかになりましたが)武蔵国分寺が。