だから官僚の仕事は減らないのだな

 民主党を中心とした連立政権、なかなかに苦労が絶えないようですな(笑)

 気の毒なのは、朝日や毎日といったリベラル系全国紙からの絶え間ない攻撃。産経や読売や日経など右翼紙や保守系紙からの攻撃は織り込み済みだったにしても、リベラル系の新聞からここまで叩かれるとは気づいていなかったでしょうね。

 私は何となくわかる気がします。こうなった理由。戦後民主主義という言い方はあまり好きではないですが、第二次大戦後の左翼~リベラル系勢力って、一環して政府や行政や大企業の批判をしてきたというか、それだけをやってきたというか、まあ要するに「叩く」「キレてみせる」「妥協しない」「批判する」以外の語法や発想を持っていなかったってことですよね。それ以外のやり方でコミュニケーションすることが出来ない。毎日新聞の記者が書くオピニオン記事なんか読んでいると、30年前、私が愛知県の郡部の小学生だった頃にクラスで学級委員をやっていたような連中が喋っていた内容と全然変わらないもんな。

「○○君は、いけないと思いま~す!」
「こうしたら良いと思いま~す!」

なかなかそうも簡単にはいかない事情があるからこうなってるんであって、それを変えていくには莫大なエネルギーと時間と議論と対話と工夫が必要なわけですよ。そこをどうするかが一番大事なとこなんですけどね。

 そして、もう一つ。新聞記者やテレビのニュース記者の紋切り型の批判がまた十年一日でつまらない。閣僚の発言の間に温度差や意見の相違があると「閣内不一致」、首相の見解が経時的に変化していくと「発言にブレ」「言葉が軽い」、政府方針が議論の結果変更されると「迷走」「二転三転」。

 私は、政府の方針をわりとオープンな形で議論しながら取りまとめていく今の政権の試みを、割と面白く眺めています。これまでなら官僚に細部まで詰めさせて、これで行こうとなった段階で閣僚が発言していましたが、それでは結局のところ、官僚が考えたことを政治家が追認するという構図から抜け出せないですからね。政治家たちが試行錯誤を重ねながらオープンな場で闊達に意見を戦わせて、落としどころを探っていくというのは、新しいやり方だと思う。それを「発言のブレ」「迷走」「二転三転」と批判するのなら、結局のところ、官僚に裏で予め全部考えさせておいた、あるいは政権党の会議室で調整と根回しをし終わった政策を、せーのでオープンにするという、昔のやり方に戻すしかない。

 そういうやり方を「プロセスが見えない」と言ってボロクソに叩いてきたのが朝日や毎日だったと思うのですが、私の記憶違いなのかな?

 (追記)
 議論のファシリテーターとして一般的に言うならば、何か意見が出た時に「なるほど、その考え方にも一理あるよね」と取り敢えず良いところを見つけて評価するのは基本中の基本で、現首相もそういう感覚で閣僚の発言を受けているのだと思います。それをいちいち「発言にブレ」「迷走」と非難すれば、結局の所は密室で根回しと摺り合わせをしてから閣僚に発言させるしかなくなるでしょうね。