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 多摩ニュータウンの醍醐味の一つが、ニュータウンのすぐ隣にある昔からの集落を訪ねる楽しさだったりします。坂を一つ上り下りするだけで、江戸時代以前から多摩丘陵の谷戸筋に住んでこられた家の方々にお会いして、運が良ければ話を聞かせていただくことも出来る。

 今日も素晴らしい出会いがありました。

 稲城と多摩の境あたりをMTBで流しておりますと、偶然、軽トラの荷台から荷物を下ろしておられる農家さんと目があったので、軽く挨拶。ついでに世間話をしてみてびっくり。なんとこのおとうさん、今年で82歳になるというエルダーだったんです。元気だわ~。

 話はそこからどんどんディープな方面に走り出します。

「おにいさん、あそこの鉄塔見てみな。あの電線な、俺が引いたんだよ。」
「え? で、電線を? おとうさんが?」
「俺が14歳の頃、高等小学校の2年の時だ。(昭和)17年。あっちの米軍のとこ。あそこが板橋から移ってきた陸軍の工廠だったんだが、それが稲城市立病院のとこの第一工廠、こっちが第二工廠ときて、一番手前に第三工廠を作ることになった。それまであの電線もあっち(米軍多摩サービス補助施設)の方を通ってたんだけど、危ないからこっちに移すことになったんだ。」
「火薬作る工場ですからねえ」
「そう。そんでうちのじいさんが陸軍に呼ばれてよ、お前んとこのここに電線通すから協力せいって言われるわけだ。じいさんは、『もう5メートル南になりませんか? そこなら(畑じゃなくて)うちの山なんで』なんてお願いしたけど、憲兵が立ってて怖い顔で睨み付けるのよ。陸軍の決めたことに逆らうかってなもんで。」
「それであそこに電線が来たと。」
「そん時に、今度はこう言ってきたんだ。お前んとこの孫に手伝わせろって。それが俺だ。職人さんが鉄塔の上に登るだろ。俺がウィンチ持ってこう、手でぐるぐると巻いてって、電線を持ち上げるの。」
「人力っすか!」
「人力だよお。長峰の富永さんとこの畑っからここに来て、多摩市のあっちの方まで、電線は全部俺が手で引いたんだ。」

 ・・・・凄い時代だったんですねえ。

 他にも面白い話がいっぱい聞けましたよ。

「そこの谷戸(大丸谷戸川の水源だそうです)にもホタルなんかわんさかいたよ。ゲンジボタル。昔は家の中にも入ってきて、夜寝てると頭の上でピカピカ光ってるんだ。それが40年くらい前に、新しく越してきた連中が『蚊が出る』ってんで3年連続で消毒させたんだよ。それでパタッとホタルはいなくなったね。」
「ここは蝶々だけで40種類くらい棲んでるんだって多摩大学の高校生が観察に来てるよ」
「ここはうちの山(里山)だったんだけど、相続ん時に山を切って生産緑地にしないとウン千万も相続税がかかるって市に言われて畑にした。市には(相続税の計算の仕方が)おかしいだろっていつも言ってるけどね。もとはこの山にあった沢が稲城市立病院の前の川(大丸谷戸川)の水源だったんだよ。その畑の白い棒が立ってる辺りだな。」
「そこは前は棚田にしてたんだけど、山を畑にしたときに土を入れて埋めちゃったよ。水が引けなくなるからな。」
「ここの井戸には昔、ウナギを入れてあったんだよ。ウナギをつがいで飼っておいて、2年に1度くらい土用の丑の日に1匹食べるんだ。」
「昔はさあ、その辺の谷戸まで多摩川からハヤが上がってきてたもんだよ。こんな小さいのが。バカッパヤなんて呼んでたね。」

 このおとうさんの土地は結構広くて、今もちゃんと里山が畑の隅に残してあるんです。感動しましたね。何が感動って、その里山も案内していただいたんですが、ちゃんと使われてる現役の里山なんです。

「あの竹林は亀甲竹っていって、根元が亀の甲みたいになるんだよ。あれを切って杖を作るとみんな欲しがるよ。多摩の和田に住んでる知り合いが株を分けてくれたんだ。」
「このビワはそこらに売ってるビワの10倍甘いぞ。どこで手に入れたのかって? 秘密だよ秘密」
「このカキの木も美味いんだ。もうそろそろ食えるよ。だいたいカキはお盆を過ぎたら食えるって言われてるんだ。」
「ほら、こいつはミカンだ。いっぱいなってるだろ。この辺でもミカンはちゃんと出来るよ。」
「この椎茸のほだ木はもう5年経つから終わりだな。」

 いなぎ里山グリーンワークの川島代表もそうなんですが、このおとうさんもとにかく研究熱心で、どんな木を自分の土地のどこに植えたらどうなるか常に考えてやっておられます。ビワでも竹でもカキでもミカンでも、何種類かを実際に育ててみて、どれが自分の土地に向いているのか、どう育てれば美味しくなるのかを工夫しながらやっている。これこそ里山、本物の、現役の里山だと思いました。面積で言えばそんな大したものじゃないですけど、手のかけ方の密度、使われ方の密度が違うんです。案内していただきながらゾクゾクしましたよ。

 昨日たまたま立ち寄った開発調整課でも職員さんたちとそういう話になったんですが、クヌギだドングリだって30年前40年前の薪炭林を上辺だけ真似た林を作ったって、今現在そんな植生は使い途が無いんだから、それは里山とは言えないんじゃないか。もっときちんと議論して、この時代でも市民が自分たちの生活に役立てられる木を選んで、工夫して育てていくのが本来の「里山」なんじゃないかと私は思ってます。カキやビワみたいな果樹でも良いし、欅やカツラを育てて大木にして、それを製材して何か市民で作るなんてのも良いじゃないですか(今の法律・条例で充分対応出来るそうです)。

 今日話を聞かせてくださったHさんには、これからも色々と勉強させていただこうと思ってます。やっぱこういう本物のローカルのエルダーの知識や経験抜きじゃ話にならんからね。