政治的正当性もほどほどにしておきたい。

VOGUE誌が白人女性をモデルにして日本の着物っぽい服で日本で撮影したファッション写真が「人種差別だ」って日本人ではない人たちにバッシングされているらしいんですが、またかという気がします。
2015年7月にボストン美術館で企画された女性向けの着物フォトシューティングが同じく「人種差別」と(非日本人の人たちに)叩かれて中止に追い込まれましたが、アメリカ人は着物を着ている日本人女性は売春婦だと思っているんでしょうか? 着物を白人が着て何が悪い。
着物という文化の進化を妨害されている気しかしません。
政治的正当性について思うこと。
例えば私、「ドナルド・トランプに投票した人」とは余裕で友達になれます。「正直同性愛者は勘弁して欲しい」とアンオフィシャルな場で語る程度の人も全然OK。
実際にヘイトクライムに精を出しているとかヘイト文書配布に余念が無いとかはNGですけど。その辺はもはや立派な犯罪なので。犯罪常習者とはお友達付き合い出来ませんという形になる。
思想信条の自由、表現の自由、言論の自由は大事にしたい。民主制というのは多様な政治的見解の持ち主が共存することが大事という、一段上のレベルの視点で作られている仕組みですから、政治的なワンイシューの見解の相違程度で人付き合いを切るというのは、既に民主的でない気がします。
そんなことをしていたら自分の世界が狭くなるし、いざという時に助けてくれるかもしれない人を減らすだけですからね。