ウェイン・ヴィエラさんのお話を書きながら思ったんですが、日本に住んでいると、マスメディアの影響もあって、相撲と言えば大相撲で、自分たちがとったりするようなもんじゃなくなりつつありますよね。でも、どこでも誰でも気軽に出来て、極めていけば奥は果てしなく深いという意味で、相撲ってのはそもそもポリネシア人にとってのサーフィンみたいなものだったような気がしませんか?
ポリネシア人はだいたい家からちょっと歩けば海があって波が立っているから、自然、波乗りというものに親しむようになるんでしょう。海とつき合って生活しているならば、海に適した体を作るのにもサーフィンというのは向いているでしょう。つまり、海に囲まれた小島というポリネシアの環境と、そのような環境に適応しなければならなかった人々が、サーフィンを創り出して、育ててきた。
同じように、わりと広い土地に恵まれて、長い間稲作を特別なものとして行ってきた(なんせ土地の価値を米の取れ高=石高で計算してきたわけですから)日本列島では、そのような土地、そのような生活に適した体を作る遊びとして、相撲というものがあったのかもしれません。
スピリチュアルな世界に通じるものでもあるという点でも、サーフィンと相撲は似ているような気がします。
考えてみれば、地面に円を描けばそれでどこででも出来て、特別な技術もいらなくて、老若男女楽しめる、えらく気軽なエクササイズなわけですよ。相撲を相撲協会とNHKと横綱審議会に独占させておくのって、実はもったいないかもしれません。ヴィエラさんなんか、小さな娘さんを土俵に上げて押し相撲の稽古つけてますもん。親子のふれあいね。いつまで娘が相手してくれるのか、それだけが心配だよヴィエラさん。
私たちは、相撲をもっとカジュアルなものとして楽しんでみても良いかもしれません。
ホクレア号が来たら、ホクレア号のクルーたちと相撲でもとってみましょうか? そういえば私のご先祖さまの一人に、尾張徳川家のお抱え力士がいたとか聞いた記憶が・・・・・