(画像:森の中に消える道・・・ではなく、画面奥にもニュータウンの家々が連なっているのです)
今年度も後期は1年生のゼミを担当することになっているのですが、ちょっと今年はいつもよりもテキストのバランスを変えて、本格的に郊外論を一つのテーマとして取り上げてみようと思っています。昨年度も一昨年度も若林幹夫さんの『郊外の社会学』をテキストに使ってきて、多分今年もこれは使うのですが、南山論争に関わる中で郊外という問題があらためて自分の中のキーワードとして浮上してきたので、自分のフィールドでもある多摩を素材にして、もう少し具体的に郊外という問題を学生たちに感じてもらいたくなったわけです。
それで、手始めに今橋映子さんの『都市と郊外』を手に取ったのですが、その最後の方にまとめられた郊外論には、実はむしろ違和感の方を強く感じました。特に変だなと思ったのは、宮台真司さんが神戸の児童殺傷事件を話柄にしてニュータウンを論じている論文。
宮台さんはニュータウンが極めて機能的に設計されており、闇の部分が存在していないので、そこで育つ子供たちは内面に闇を抱えてしまうのではないか。現に子供たちは公園ではなく階段など「遊び場として設計されていない場所」で遊んでいるではないか・・・・と論じます。
どうなんでしょう。問題の事件の舞台となった街はそうだったのかもしれません。でも、多摩ニュータウンに限って言えば、宮台氏の論は殆どまったく当てはまらないわけです。多摩ニュータウンというのは本当に不思議な場所でして、街区設計でも設計意図が不明なムダ空間が異常に多いんですねこれが。いや、本当は意図はわかるんですが、その設計者の意図の6割くらいがスベっていて、意図された通りの使い方をされていない。何とも言いづらい微妙な場所がそこかしこにある。そこがまず面白い。
それに、これは特に多摩市の聖ヶ丘から豊ヶ丘にかけての一帯に顕著なんですが、歩車分離を徹底的にやった為に、街区と街区を繋ぐ遊歩道が非常に贅沢な設計で作られている。これが街区の形が不定形であることと相まって、殆ど迷宮と化しているんです。更に、これらの地区は街開きから何十年も経って、緑のボリュームが、他の「郊外」ではあり得ないくらいに増殖しているので、結果的にどうなるかというと、「殆ど家屋が見えない緑のトンネルの迷宮が果てしなく広がっている」という状態なわけです。
取り敢えず物陰はやたらありますよ、そりゃあ。遊歩道全体が森の中みたいなもんですから。あの空間を知らない人たちからは、ニュータウンという言葉の響きだけでバカにされる多摩ニュータウンですけれども、私にとっては次から次へと面白そうな空間が現れるワンダーランドですね。今橋さんのまとめられた本では、子供にとってはそれでも郊外はワンダーランド(「帝国」という言葉で表現されています)だが、大人にはそれは経験出来ないと結論づけられていますが、それは少なくとも多摩ニュータウンには妥当しないですね。
また、現在の郊外論では、郊外というのはその場の固有の意味を失った空間ということにされがちなんですが、それも私には「は?」という感じ。多摩ニュータウンの一番高い尾根筋には鎌倉古道跡を繋いだ「よこやまの道」という遊歩道が整備されていて、近隣住民には多摩ニュータウンの一つのアイデンティティの象徴として愛されていますし、ニュータウン開発史研究もここ10年ほど活発に行われています。このニュータウン開発史がまた、やたら面白いエピソードばかりでして、それらを読んでいると、この街を作った数多くの人々の思いであるとか、街が出来る以前にあった色々なものであるとかが、生き生きとして立ち現れてきます。
では、何故、多摩ニュータウンはそういう場所になりえたのか? 一つには、街作りに投入されたエネルギーの量が莫大だったということがあるでしょう。国家的プロジェクトとして、莫大なお金、莫大な利権、莫大な思惑、莫大な情熱、莫大な創意工夫がここには集まっていた。その熱量はやはり大したものだったんですよ。そしてもう一つ。他のどこでもなく多摩ニュータウンという空間を愛してやまない人々が少なからず現れてきて、そういう人たちが「よこやまの道」やニュータウン開発史の発掘という作業を通じて、多摩ニュータウンに固有の意味づけをしてきたということが指摘出来ると思います。
その多摩ニュータウンの街作りにかつて関わった老エンジニアが私に向かって言った言葉があります。
「街というのは、作って終わりじゃないんです。そこに住んでいる人たちが、少しずつ手直しをしていくことで、完成に近づいていくんです。」
郊外論の多くに私が感じる違和感の理由の一部は、この言葉によって説明出来るでしょう。たしかに田園や山林を削り、潰して街が出来た。その出来たばかりの街は味気ないもんです。でも、それは住み手が使い込んでいくことで解消出来るものでもある。流れ作業で生産された楽器が弾き手に使い込まれることで、唯一無二の楽器に育つのと同じ話です。とするならば、せっかく山や田畑を潰して作っていただいた街を「良い街」に育てていく責任はいずこにあるのか? その責任を引き受けない者が郊外を小馬鹿にするのは、まったくもって筋違いだと思いませんか?