昨日は不思議な体験をしました。
場所は川崎市多摩区の某街区公園(昔で言う児童公園)。
ここもうちの息子のお気に入りスポットの一つでして、前日から「明日は競輪場公園(京王閣から比較的近いので命名されたコードネーム)に連れてってねっ!」とせがまれていました。昨日は比較的良い天気でしたので、私は私で「よ~し、DT35mm/F1.8持ち出して写真撮りまくりだな・・・」と。思惑の一致というやつですね。
それでまあ、砂場で楽しく遊ぶ息子をぼんやりとベンチで眺めていたのです。その時でした。こういう場で耳にするには意外すぎる言葉が、聞こえてまいりました。
「神様がね~」
「神様のためにね~」
「神様のためにね~」
神様? 神社の境内ならまだしも、街区公園の砂場で神について語るのはいったい誰だ? しかもこの声。少年と少女が神について話し合っているではないですか。
見ると、小学1年生くらいの少年と、小学5年生とか6年生くらいの少女が、砂場の一角を掘って祭壇のようなものを作っているのです。コスモスの花を抜いてきて祭壇に供えているのですが、その際に「神様のためだからコスモスの花を摘んでも良いんだよ」という話をしていたのですね。
花壇の花や植木の葉、スコップなどあり合わせのもので作られたその祭壇は、私にはハワイ先住民のヘイアウのようにも見えました。巨大な石材や木材で作られた祭壇も数多く見てきた私ですが、この祭壇は今まで見たどの祭壇よりも衝撃的でした。一言で言うならば、祈るための場としての祭壇の原型が露わになっていたような気がしたのです。公園の砂場の一角に子供が作っただけのこの祭壇が、既に気軽に立ち入れないような気配を立ち上らせていました。
それにしてもこの姉弟は何故、こんなものを作りはじめたのか? こういう発想が出てくる子供というのは、まず滅多に居ない。と、その時、姉弟の祖母らしき女性が現れ、子供たちに声をかけました。その発音は明らかに第2言語としての日本語です。よく見ると、女性は東南アジアの方らしき顔立ちをしています。もしかしたら、この女性がキリスト教徒で、孫たちに普段から神について話しているのかもしれません。よく見ると、姉弟も北方系モンゴロイドの血だけではないような顔立ちです。
気がつくと、他にもアフロ・アメリカンの血を引いているような子供たちが砂場で遊んでいます。私は一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなりました。こんな家の近くに、かくもインターナショナルな空間があったとは。まるで、今年度の私の2年次演習のようです(現在、中国系韓国人留学生と東南アジア系オーストラリア人留学生と白人のフランス人留学生が所属中)。
一瞬の混乱の後、私はこの公園が以前よりも更に好きになりました。この公園、本当に何てことのない公園に見えるんですが、いつ来ても居心地が良い。そして、こんな色々な出自の子供たちが自然に溶け込んでしまうような懐の深さもある。まさに地域の宝です。
ささやかなスピリチュアル体験のお礼に、この日もゴミを拾って帰りました。