異境の祖霊に正しく祈ること

 知床が世界遺産に登録されました。

 それに絡んで、先住民族とツーリズムの関わりを考えるイベントを藤崎達也さんが開かれたわけですが、その報告を拝読していると、先住民ツーリズムというものが持つ困難さがひしひしと伝わってきます。

 もちろん、以前にも紹介したように、文化人類学者の自己批判とか、外部からツーリストが押し寄せてくることで発生するダメージのコントロールも大変なんですが、藤崎さんのように、外部からやって来て、先住民ツーリズムの場に住み着いて、そこで先住民コミュニティと外部のツーリストの間を取り持つ人々にも、独特の苦労があるようです。

 この記事では、藤崎さんはイベントに先立って知床に残るアイヌの聖地に、他の土地から来られたアイヌのみなさんとも連れだって、祈りを捧げに行きます。

http://shinra.upper.jp/blog/archives/000450.php

 ところが、その祈りのやり方が諸々の事情できちんとした形式を整えられなかったことを、アイヌ・アート・プロジェクトの方に指摘され、それで藤崎さんは、礼拝が略式になってしまったことをお詫びし、また後日改めて正式な礼拝をすることを報告するために、もう一度その聖地を訪れて、一人で1時間も祈りを捧げたとのことです。

 1時間ですよ。

 これだけを見ても、藤崎さんがいかに真摯にアイヌとその伝統に対峙されているか、想像がつきます。ちなみに、この時に試験的に行われたアイヌの聖地見学ツアー、私も体験してみたいのですが、今月末ではまだ早いですかと藤崎さんに伺ったところ、「今月末ではまだツアーは出来ないし、(和人である)自分たちがあなたをお連れして良い場所ではない。」とはっきり断られてしまいました。

 私はこの藤崎さんの態度を心から尊敬しています。そこに崇高ささえ感じます。

 それから、こちらのエピソードも強烈です。アイヌの伝統楽器であるトンコリを現代に復活させたOKIさんのコンサート報告の記事です。

http://shinra.upper.jp/blog/archives/000448.php

「「世界遺産おめでとう!でも、まだ誰にも返した覚えはないからね!」

 ライブのスタートのときに彼はこう言った。僕たちのものだなんて思ったことはないけど、「日本」はあたかも自分たちのもののように知床を世界にアピールしている。OKIさんが僕のことをどう思っているか知らないけど、僕もその「日本」に暮らしている。彼のこの言葉は誰に向けられているのかわからなかったけど、一緒にライブを作り上げてきた僕としては少々傷ついた。でも、こんな傷の何倍も彼らは受けているのだろうし、このエッジがOKIというアーチストを際立たせていた。かっこいい!」

 このように、藤崎さんでさえ、アイヌの人々にチクリとされる瞬間があるわけです。こうして書き留められないレベルでの「チクリ」は、もう無数にあると思いますね。きっと藤崎さんの心はそういった生傷とかさぶただらけでしょう。それでもなお、藤崎さんは、知床の先住民ツーリズムの為に奔走しているわけです。普通の人だったら、やってられないと思うですよ。でも藤崎さんは違う。それどころか、そんなOKIさんに「かっこいい!」と喝采を送っている。

 そこで私ちょっと思い出しました。社会学者の奥村隆さんの『他者といる技法』という本の中に、1980年代のアジア人売春婦問題をマスメディアがどう報じたか、あるいはアジア諸国から来ている留学生をマスメディアがどう報じたか分析した論文があるんですが、結果があまりにも予想通りなんで笑ってしまいましたよ私は。

 奥村さんの論文によれば、アジア人売春婦や留学生を「がめつい」「ずるい」「こわい」「汚い」というステロタイプで取り上げ続けたのが『週刊新潮』『週刊文春』あたりのオヤジ週刊誌。「けなげ」「たくましい」というイメージで語ったのが『週刊女性』『女性セブン』あたりのおばさん週刊誌。「かわいそう」という切り口ばかりだったのが朝日新聞だそうです。

 最近の日本が近隣諸国との間に抱えている軋轢への態度とこれは全く同じですね。まあ、詳しくは説明しませんけども。

 それで、奥村さんは、こう分析します。まず、これらのメディアがアジア人売春婦や留学生を人として見ているか物として見ているか。そして、その視線は肯定的か否定的か。

 おばさん週刊誌は概ね彼らを人として見ています。「大変な状況で頑張っている人間たち」として彼らを見る。オヤジ週刊誌は彼らを物として見たり人として見たり様々ですが、「不快で排除すべき存在」として彼らを描く姿勢は一貫しています。一方、朝日新聞はどちらかと言えば物を見るような姿勢で、彼らを憐れんでいたわけですね。

肯定的・人 おばさん週刊誌「けなげ」「たくましい」
否定的・人 オヤジ週刊誌「ずるい」「こわい」
肯定的・物 朝日新聞「かわいそう」
否定的・物 オヤジ週刊誌「きたない」

 しかし、と奥村さんは考え込むのです。オヤジ週刊誌が思い切りよくアジア人売春婦や留学生を罵倒し倒して気分良くなっているのに対して、朝日新聞はどうも彼らをモノとして見ているようだし、おばさん週刊誌はちょっと腰が引けている。異文化の民を肯定的に、かつ人として語る、思い切りの良い言葉は無いものかと。

 私、なんで奥村さんがここで悩んでしまったのか良くわかりません。藤崎さんを見れば良い。藤崎さんは、自分を究極的には受け入れてくれないであろう異文化の民に寄り添い、彼らにチクリとやられつつも、あっけらかんと言い放ちます。「かっこいい!」

 もちろん、異文化の民とはいえ、例えばあんまり自分たちと利害関係がぶつからない白人なんかに対してだったら、「かっこいい!」と言える日本人っていっぱい居ると思いますよ。日本には白人大好きな人多いですからね。でも、時に利害が対立したり、お互いにどうしても譲れないものを背負いってぶつかりあいつつも、そんな相手を「かっこいい!」と言える人は滅多にいない。

 だから、私は藤崎さんの活動の先には何か素晴らしいものが生まれるんじゃないかと思っています。