弥生時代を忘れても

 今日は吉野ヶ里遺跡を見学して参りました。

 吉野ヶ里。同行した妻に「おい、三内丸山とどっちが古いか言ってみろ」と聞いてみたら一瞬言葉に詰まっておりました。

 正解はもちろん三内丸山です。青森市にある巨大縄文遺跡です。吉野ヶ里は弥生時代。

 しかしでかい。三内丸山もいい加減でかかったんですが、吉野ヶ里はもう桁外れでした。鳥取県にある妻木晩田遺跡(弥生時代)もでかかったですが、吉野ヶ里はねえ。ハワイ的に言えば、三内丸山がケアリイ・レイシェルなら、吉野ヶ里はイズラエル・カマカヴィオレ。わかりにくければ、舞の海と小錦。丸藤正道と森嶋猛。それくらいサイズが違う。

 公園として公開されているエリアだけでも他の巨大遺跡並なんですが、まだ未整備のエリアがその2倍くらい残ってます。すげー。

 でね。

 この「でかさ」ってのが、一つポイントだと思うんですよ。

 でかい町。東京でも大阪でも良いですよ。そういう町にはお金があって偉い人がいる。大坂には太閤さんがいたし、東京には明治帝から今上帝に至る日本国の象徴が住んでおられます。総理大臣もおる。つまり、吉野ヶ里ってのはそれだけ桁外れの富と権力が流れ込んだ土地だったってこってす。

 それに、三内丸山にはなかったものが他にもある。環壕、つまり堀であり、あるいは逆茂木(バリケード)や柵です。要するに、戦争やってたんですこの人らは。

 縄文から弥生になったら、超巨大集落が出来て、戦争の準備が始まった。そういうことです。これは出土人骨からもわかってます。吉野ヶ里が出来た時期になると、筑後川流域から出る人骨の中で働き盛りの男が怪我したり首から上が無かったりしてるものが異常に増えているそうです。つまり戦争していたと。

 一方で、稲作が始まり、住居も洗練され、養蚕や絹織物の生産、鉄器の製造もはじまっています。暮らし向きは良くなっている。きっと飢えて死ぬ事も減ったでしょう。縄文が良いとか弥生が良いって話じゃありませんや。ね。今、私達の生活だってエアコンがあって貯め込んだ食料があって偉い人がいて、何故かたまに飢え死にする人もいるのはいただけないですが、でもまあそういう、快適に暮らして飢え死にしないような社会を目指して私達はこの2000年くらいやってきたんだから。それだって私達の歴史であり、辿ってきた道ですよ。

 私が今日、あらためて感じたのはそこです。てめえの顔が弥生顔(堀が浅い)であり、A型であり(縄文は0が多い)、定住して貯金する弥生な生活してるから言いますけど、私達、列島人の多くは弥生的な社会のありようの中に居ます。そういうものを否定することは出来ません。もう遅い。弥生時代から2000年かけて耕して来た田圃で出来た米食って大人になっちゃったんですもん。

 今出ている雑誌『大航海』で、大澤真幸さんという社会学者が言っていましたが、私達は、自分で選べるようなもの(職業や住所やプロバイダやメアド)にはコミットできない。言い換えれば、自分の全てをかけて死守しようと思うほど大事なものはそういう所には無い。むしろ、生まれた土地や親から習い覚えた言葉、好きな食い物、好きな異性(ゲイの人は適当に読み替えてね)*。そういう、自分では選べなかったものこそ大切に思い、そこに拘っていくんだと。

 そう考えれば、弥生的なものだって、私達はオギャアと生まれた時にはもう周りにあったもんだから、それは譲れないでしょう。

 ところが、最近、特に朝鮮半島や中国の影響を軽く見積もろうとする方々が、「日本のルーツは縄文であって、弥生なんてものはその上に乗っかったトッピングに過ぎない」とおっしゃっているんですね。まあ気持ちはわからんでもない。感情こじれてますから。子供の恋愛沙汰と同じで、周囲から見たら馬鹿馬鹿しいことこの上無いんですが、綺麗に別れる事が出来ず、別れてからもいつまでもズルズルと遺恨を引きずって無駄なエネルギーを浪費している。日中日韓日朝はそういう関係。だから「あの人になんか何の影響も受けてないわ!」と主張したいのはわかる。

 ですがねえ。今日わたしは吉野ヶ里を見て、思いました。こんな超巨大遺跡があるんだから、それはもうしょうがないですよ。大人になろうぜ。弥生だって私達の大事な歴史の1ページっすよ。そうでしょ。どんな汚い別れ方をした恋人だって、その相手と過ごした日々もまた私らの人生の大事な一部分なんだから。そういうの、否定しようとすればするほど、周りから見たらこだわっているようにしか見えませんや。

 あそこに行けば、みなさんも諦めると思います。中国の江南地方、あるいは朝鮮半島から伝わった定住農耕文化の咲かせた大輪の花。種は大陸渡りですが、それが根を下ろして花を咲かせたのは九州島ですぜ。

* これは私の大学での先生も同じ事をおっしゃっていました。好きになる相手が何故その相手でなければならなかったのか、理論立てて説明出来る人は居ないと。