その思考であれば最初からトヨタか伊藤忠でも入っておいた方が良かったんでは?

少し前に社会学どうこうでブログが注目されたので、現在の若手の社会学研究者の方々のアカウントを色々と拝読する機会が増えています。
 
その印象なのですが、社会学に限らず日本の人社系の研究者を見ていると、上の世代で/まで通用したキャリア構築の定石が通用しなくなることへの不満が強い一方で、新しい環境への適応として自分を変えることへの拒否感も非常に強く、結果として沈む船の中で「まだ沈まない場所」を従来通りのやり方で争う行動になっているようです。
 
そのような思考や行動は日本の古い大企業のサラリーマンと非常に似ているように思えるのですが、よく考えたら三井や三菱やトヨタに大卒男性正社員で入る人たちと同じ人材プールから来ている人たちなんだよな。考え方も似ていて当然なのでしょうか。
 
あの「これまでのやり方への拘泥」「古き良き時代への執着」は、たとえば高卒の職人さんより遥かに強烈なのではないかという気もしますよ。むしろ相対的に低学歴で低所得層の出身の人びとの方が、彼ら(男ばっかです)より柔軟に自分を変化させて時代に適応していると思います。
 
経営形態は研究者と個人商店は似ているんですが、前者の「上がり」は会社で言えば三井や三菱やトヨタのような「絶対に潰れなくて給料もそこそこの老舗巨大大学に正社員で雇われる」という点で、内資巨大企業のぶらさがりサラリーマンみたいな思考も持ってしまうのかなと思っています。
 
とはいえ、それが悪いということでもなく、変化し続ける環境に適応出来ない個体が滅びるという大原則からは歴史学者も社会学者も文学研究者も民俗学者も逃げられませんからあとはYOUR OWN RISKで頑張りましょう、です。
 
アラサーくらいの、名門校の卒業証書と修了証をいっぱい持っていて文化資本もリッチな男たちが
 
「俺たちは上の世代(と同じやり方で上の世代)よりも遥かに頑張っているのに、何でこんなに報われないんだ」
 
と愚痴っているのを見ると、日本って良いなあと思います。

上の世代がローラー飛び込み営業や無差別テレアポや社長あて巻紙果たし状営業で結果を出してきたというから自分たちも分量マシマシでやっているのに何で、みたいな。
(もちろんこんなことを私が書いたところで彼らの心にはカケラも響かないわけですから、これは彼ら以外の人びとに向けた文章です)