ネイティヴ・イーターを育てようぜ

 疲れる仕事がまだ続いています・・・・・。ですが、さすがに週末はお休み。そこで今日は午前中は多摩川サイクリングロードを走りに行って、午後は図書館で本をいくつか借りてきました。

 最初に読んだのは、

笠井一子『北海道の食彩〈マッカリーナ〉物語』(草思社、2005年)

 この著者の笠井さんという方は助動詞(いわゆる「てにをは」)の使い方が変な上に、ほとんど同じ意味を持つけれど微妙に意味が矛盾する形容を一つの文章の中に重ねて使ったりして、正直に言ってあまり読みやすい文章ではないのですが、採り上げているテーマに興味があったので、我慢して最後まで読んでみました。

 「マッカリーナ」というのは、北海道の羊蹄山の麓、真狩町にあるフレンチ・レストランです。この土地に惚れ込んだ料理界の大物たちが儲け度外視で開店の為に奔走し、真狩町と民間企業による合弁事業(いわゆる第三セクター)として1997年に営業を開始したのだそうです。きっちりと練り上げられたコンセプトに加えて料理マスコミ界の重鎮が企画段階から参加した為に、メディア対策も完璧に行い、開店後たちまち北海道を代表する名店となったとのこと。

 それだけならば、よくあるビジネス成功譚で、このウェブログで紹介するようなものではありません。「マッカリーナ」が面白いのは、真狩町という土地の産物を徹底して使い、真狩町の農産物や風土の魅力を外部に向けてアピールするというコンセプトが根底にあったという所であり、その為に、真狩町とは何の関係も無かった人たちが力を合わせたという所です。

 そもそもは、札幌にあるフレンチ・レストランのオーナー・シェフが、真狩町の水や農産物、風景に惹かれて、ここにオーベルジュ(フランス式の料理旅館)を作れたら、と考えたのが発端でした。これがたまたま当時、「村おこし」を考えていた真狩町の行政のニーズに合致し、それなら第三セクターでレストランをやってみないかとなった。すると、フレンチ・レストランのオーナー・シェフの人脈でどんどん中央の実力者、例えば名うての建築家やデザイナー、プランナー、料理ジャーナリストなどが加わってきて、儲け度外視でこれをサポートしたわけです。まあ、他で充分に儲けているし、「マッカリーナ」は趣味の延長みたいな形で関わっていたようですが。

 逆に、事業の最大の障壁となったのが、フランス料理もオーベルジュも知らない地元の人たち。農家は農産物を卸してくれない。議会は徹底的に計画を妨害する。間に入った町の職員は、地元の人たちの説得に苦労しぬいたのだとか。

 ところが、いざ開店してみると、想像を超えた大成功で、海外の有名シェフだのオペラ歌手だのがわんさか訪れ、店は予約で一杯、と。

 皮肉なもんです。

 その後、店のスタッフの地元にとけ込もうとする努力の結果、今では地元の農家とも非常に良い関係が出来ているそうですが、この計画を推進した当時の町長は、やり方が強引すぎるとの批判を浴びて次の選挙で落選と相成ったとのこと。私も東京都の強引な首長には心底うんざりしていますから、真狩町のみなさんの気持ちもわからないでもないですけどね。

 そんなわけで、全てがいい話というわけにはいきsませんけれども、それでもここにはいくつかの教訓がある。

 まず、本来、その土地とその産物の魅力を一番知っていなければいけない立場の人々、言い換えれば真狩町のネイティブは、外部の視点に気付くまで、真狩町の魅力に気づけなかったという点。これは、日本列島の住民の多くが我が身を振り返って反省しなければいけないことでしょう。私には、「マッカリーナ」を作ろうとした人たちの気持ちが良くわかります。フランスやイタリアやスペインの田舎には、地元の産物を使って料理を作り、それで地元のワインを飲ませるレストランが沢山あります。ヨーロッパを旅する楽しみの一つには、レンタカーで気ままに田舎道を走り、ここはと思った町にホテルを取って、ふらりと入ったそういうレストランで飯を食うというものがある。それで旅人は、文字通りその土地を食べ物の形で自分の体に取り込む。

 思い起こせば、私もそうやって忘れられない一夜を過ごした町が沢山ありますね。スペインのカスティリア・ラ・マンチャの田舎町アルマグロ。あるいはコスタ・デル・ソルのリゾート地ネルハ。イタリアはトスカーナのワインの名醸地モンテプルチアーノ。サッカー通にはお馴染み、ブルゴーニュのオーセール。スイスでは、ベルンとバーゼルの間の街道沿いにある、名前もはっきりしない小さな村のオーベルジュに泊まりました。

 そういう町や村は、どこも町並みのコスメティックが綺麗に整えられておりました。ぶらぶら歩いているだけで気分が良い。要するに、食い物にせよ町並みにせよ、「見られ」を意識しているということです。

 振り返って日本について考えてみると、例えば世界遺産知床の観光基地たるウトロの町ね。藤崎達也さんには申し訳ないけど、せっかう世界遺産の町なのに、「見られ」とか全然意識して町作りしていないですよ。巨大観光ホテルに観光バスで客を連れてきて、そのまま知床五湖までやはり観光バスで連れて行くという客の流れしか考えていない。積極的に町歩きしたいとは思えないですもん。

 それに食い物も、たしかに海産物の味は超絶だけれども、ホテルはビュッフェ・スタイルや作り置き料理だし、町に出ても一軒か二軒くらいしか選択肢が無い。せっかく斜里町は農業も盛んだし目の前にオホーツク海があるってのに、気の利いたレストランや料理屋が何軒も並んでいて選ぶのに困るということに全くなっていない。

 ここで、第二の教訓が出てきます。すなわち、ネイティヴが自分の住んでいる土地の魅力を知るネイティヴへと成長するには、現在の日本では、外部の視点が欠かせないかもしれない、ということ。真狩町の場合は、東京やフランスで散々に遊びを経験し、遊びを知り尽くしていた趣味人たちが、たまたま趣味の延長でレストランの名店を作ってくれて、それで真狩ネイティヴは真狩の魅力を知るネイティヴになれたのですが、そういう僥倖が訪れない数多くの町や村は、今も自分の魅力に気付かないまま、どんどん風土を(あるライターの言葉を借りれば)「ジャスコ化」させてしまっている。

 ジャスコが便利なのはわかるし、そういうものもあっていいでしょう。ですが、日本全国の小売業が超巨大イオンショッピングセンターだけになっちまったとしたら、どうよ。

 どこの町にも一軒くらい、その土地で取れたものだけを使って、その土地に伝わる料理法で飯を食わせるレストランがあって良いじゃないですか。そういうレストランを中心にして、ネイティヴ・イーターを育てていけば、回り回ってそのネイティヴ・イーターは、その土地を大切にするんじゃないでしょうかね。自分が食っているものがどこからやって来ているのかわかればね。