我とそれ、我と汝

 この週末もきっちり自転車だけは乗ってました。結構、いろいろなところに潜り込んで、どんどん自分の住んでいる土地に詳しくなってきてます。こんなところに坂があるのか、とか、あっちの坂とこっちの坂じゃ見た目は同じだけど、自転車で上がってみるとギアが2枚も違うじゃないか、とか。あるいは、本当にもう車で走り回っていては一生気づかなかったような場所に、隠れ里みたいな場所があって、古い農家が固まってのこっていることとかね。

 要するに、多摩ニュータウンというのは丘の上の木々を薙ぎ払って造られた町なんで、丘の上には何も残っちゃいないんですが、丘の裾、谷戸と呼ばれる小さな谷間谷間には、以外に過去の痕跡が残ってるんですね。面白い。

 あるいは多摩川を越えて府中崖線や国分寺崖線に沿って走ってみる。府中崖線の下に谷保天満宮があって、その境内に水が湧いていて(崖線の下だから水が湧く)、そこから用水が流れ出して田畑を潤しているのがわかる。用水沿いには小さな曲がりくねった道が続いていて、最近の都道やら高速道路に寸断されつつも、多摩川までそれが伸びていたのが見えてくる。

 この辺りには縄文時代に人が住んでいたんだけれど、江戸時代に洪水があって集落は崖線の上に移ったんだよと郷土資料館で勉強して、改めて自転車を漕いでそういうところを見て回る。

 学べば学ぶほど面白くなってきます。こうやって勉強していって、いつかは、どこか他所の土地から人が来ても、この土地はこういうつくりになっていて、こういう歴史があったんだよと説明できるようになりたいですね。

 西の方から流れてきて、過去をブルドーザーで薙ぎ払って造ったニュータウンに住んでいる自分が、この土地との間に絆を結んでいっている実感がありますよ。そんな私にとって、もはやこの土地は単なる「食う寝るところに住むところ」じゃないです。そういうモノとしての土地を越えた存在、敬うべき対象ですね。縄文あるいはそれ以前から現在に至るまで、人間を含む様々な生命をその上に生かして来た土地であるということが体でわかりましたから。なんて偉い土地なんだろうと思う。

 かつて、マルティン・ブーバーという哲学者は、人間とそれ以外の何かとの間の関係には二つの種類があると言いました。人間が、「自分はその対象の全てをわかっていて、自由に操作可能である」存在として何かを見るとき、その関係は「我とそれ」であると。逆に、「自分とは明らかに異種異質のものであり、だから自分はそれを全てわかるということがない」存在として何かを見るときには、その関係は「我と汝」であるとブーバーは言いました。

 だから、私は自分の住んでいる土地を今、「汝」として見ています。それは自分という人間を超えたでっかいものだと思っている。自分の都合が良いようにどうこう出来るほど甘いもんじゃないと思っているわけですね。畏れ敬っているんです。

 さて、私はこのウェブログで、一貫して「自分の住んでいる土地について学ぼう」と主張してきました。その理由はいまさら繰り返して書くまでもないでしょう。ですが、最近になってさらに気づいたんですよ。自分の住んでいる土地をモノとしてしかみない、「我とそれ」の関係でしか見ないのであれば、それはハワイの航海カヌー乗りたちがハワイに対する態度とは別物だろうなと。ナイノアさんは、アラスカからハヴァイロア号の船体になる木材をいただく際に、まずハワイの島々にコアの木を植えて、ハワイの土地にこれまでの乱開発を謝罪して、それからもう一度アラスカに出直したんですからね。

 一方、これからの町作りにはその土地について深く学ぶことが必要だと私が言った時に、「そんなことはどこでもやっている」という反応が返ってきたりもします。しかし、と私は思うのです。それは本当にその土地を畏れ敬って、「我と汝」の関係においてその土地を学んでいるのだろうかと。単に「村おこし・町おこし」のネタ、新しい商売のネタに「使える」ものはないかいなという態度で、やっているんじゃなかろうなと。だったら、商売に使えそうもない、「地域活性化」に寄与しない過去はどうするわけ? こんなもの要らないと放り出すんですか?

 たしかに、歴史とか過去というものは、選択的に構成されるものです。今を生きる人々によって、「これは我々の過去」「これは見なかったことにしよう」という選択が積み重ねられ、生み出されていく。そういうことを指摘した研究は吐いて(本当に吐き気がするくらいあるのさ)捨てるほどある。ですが、だからといって、その土地の過去その土地の歴史その土地の成り立ちを、都合よくつまみ食いしていけば良いのさ。だってみんなそうしてるじゃん。というのでは、結果あまり良いものが生まれない気がするんですよ。そういった態度の先には、「この土地つかえねーから、もう他所行くわ」というのが待っているんじゃないですかね。

 私が主張してきたのは、そういう態度そういう振る舞いをやれってことじゃないんす。

 今住んでいるその土地を全力で愛して慈しんで手入れして生きていこうと。それぞれのやり方でね。そういうのが積み重なれば、世の中は今よりも多少良くなる気がするからね。そのためには、これとあれを自由に入れ替えられる、今乗っているこのベンツ飽きたから壊れたから、次あのビーエムにしようというような態度「我とそれ」じゃなくて、飽きようが壊れようがそこに踏みとどまって、手入れして直して使っていくという「我と汝」の態度であるべきだろうと。私は根拠無く、しかし断固として主張しますね。